実家の両親を見舞ってきました

夫のマシュウです。

ゴールデンウィークに、私の実家の両親を見舞ってきました。

両親は、92歳の父親と87歳の母親が北海道の田舎で、つい最近まで大きな病気にも罹らずに、老化による足腰の衰えはあるものの元気に2人で生活を続けていました。

2月24日、そうですピョンチャンオリンピックのカーリング女子が銅メダルを争うという日に、母親が倒れてそのまま入院生活が続いていました。

父親は、その後も自宅で一人きりの生活を続けていましたが、3月に入ったある日、自宅前で転倒して起き上がれなくなり、胸の打撲で入院を余儀なくされました。

そう、ある日を境に、両親が同じ病院に入院してしまったのです。

母親の入院から何度か、病院の手続きや介護の相談で実家との間を行き来していましたが、今回、父親が介護施設への入所が決まり、その手続きを兼ねて、見舞ってきました。

父親はリハビリの効果もあり、介護施設での生活に希望を持っています。

が、母親の衰弱が一段と進んでいました。

食事の意欲もないらしく、水溶性の栄養補給に頼る状況で、呼びかけにも満足な答えがありません。

じっと私の顔を見つめるだけのようにしか見えません。

その目の奥では何を思っているのでしょうか?

その口から何かを伝えたいのでしょうか?

「家の中を片付けてきたよ」というと、「大変だ」と答えたような・・・

「もう帰るよ」と伝えると、苦しそうな息遣いのあいだに、「気を付けて」と言ったような・・・

あるじのいなくなった実家は、いつも帰省のたびに玄関を開けたときに「おじいちゃーん、おばあちゃーん」の呼びかけに答えることもなく、静まり返っていました。

さあ、家の中の掃除です。

使う人のない食材も片付けました。

妻の「おばあちゃんたら、納戸にパン粉置いてあったよ」に、「そんなの捨てなよ」と私。

翌朝早く、庭に来たスズメのにぎやかな鳴き声に起こされた私は、ああ、パン粉はスズメの餌だったんだ。もう餌をやる人はいないし、もうスズメは餌をもらえないんだ・・・

あるじのいない家に勝手に泊まって、勝手に食事して、使わなくなったガス台も外してしまった。

台所のあるじはそんな勝手な振る舞いに、何とも言わないのだろうか・・・

ごめん、母さん・・・

“後ろ髪を引かれるような”という表現がありますが、

そんな気持ちで、帰りのバスに乗りました。

バスに揺られながら、できるだけ昔の母親の思い出を探していました。だって、高校卒業までの18年間しか一緒に暮らしていなかったから。

まだ幼稚園にもいく前の小さなころから体が弱かった私は、三日に上げず熱を出していたようで、その度に母さんはおんぶして病院に通っていたということ言ってたよね。

小学生のころ、足のケガで隣町の病院にバスで通っていたのですが、母さんに近所のおばさんも同じ病院に通うので、一緒についてあげてと言われたのに、私一人で帰ってしまい、あとで、母さんに「お前には、ごっぺかえした!」とこっぴどく叱られ、腕を引っ張られて謝りに行かせられたよね。

私が大学に進学して、親元を離れる私を、寝具などをもって下宿まで送ってくれた母さん。気丈な母さんが、帰りの車中で泣いていたってあとから聞いたよ。

いろんな思いが頭の中をよぎりました。

まだ、「ありがとう」という気持ちを伝えていなかったね。

まだ、「ありがとう」という気持ちを聞いていないんだけど、言ってくれるかな?

その時までは、まだまだだよ!!

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