悲しい歴史の「鶴ヶ城」は、美しい鶴を思わせる城だった!

夫のマシュウです。

私たち夫婦は、旅行で訪ねたマチの雰囲気を知るために「周遊バス」をよく利用します。

今まで、金沢や松江、仙台、岩手などでも乗車!

街並みを車窓から眺めるだけでも「そのマチの空気感」が伝わってきます♪

周遊バス

会津若松にもありました!

約1時間で市内を一周する「あかべぇ」と「ハイカラさん」です。

一般の路線バスに加えて、このバスが1日乗り放題になる

「城下町周遊フリーきっぷ」が大人600円。

これに主要3施設(鶴ヶ城、会津武家屋敷、野口英世青春館)の入場券がついたチケット

大人1,630円を駅前案内所で購入。

これが3施設の入場券引換証

バス停に行くとタッチの差で「あかべぇ」が出発した後でした😢

次のバスは「ハイカラさん」です。

ところが!

えっ!ボンネットバスじゃないの?

案内ボランティアのおじいさんいわく

「ボンネットバスは少ないからねー。これもハイカラさんだよ。ステッカーついてるでしょ!」

う~ん、その通りだけどさ・・・💦

さて、気を取り直して、どこかでボンネットバスに乗車できることを期待して出発!

会津若松は、幕末の戊辰戦争と切っても切れない歴史のマチ・・・

鶴ヶ城や白虎隊にまつわる歴史の遺構を見て回ることがテーマです。

鶴ヶ城

市内観光ツアーもあったのですが、鶴ヶ城の滞在がわずか50分!

これじゃとても満足できないと、ツアー参加を止めたのは見学時間の足りなさが理由でした。

お濠や石垣、そして天守閣を見て回ると少なくても2時間はかけてゆっくりと見たいものです。

最寄りの「鶴ヶ城入口バス停」で下車

少し戻ったところの交差点に目印となる菓子店の特徴的な建物と「鶴ヶ城入口」の案内柱が!

交差点から鶴ヶ城の天守が見えます。「城下町」だということを肌で感じる瞬間です!

外堀が広く、苔むした石垣が歴史を感じさせます。

※北出丸の通路が幹線道路の「う回路」のようになっていて、観光客が歩いているそばを

車がひっきりなしに通り非常に危ないです!💦

地図で見る限り、通行止めにしても問題ないんじゃないかと思うのですが、

一見の観光客のたわ言でしょうか?

追手門を通って北出丸へ。クランクしているので先が見通せません。防御が固い!

階段状になっていて、ここに隠れて敵を待ち伏せ!

「椿坂」までに来ると、天守閣が見えてきます。

ここは「太鼓門」

「北出丸」から本丸に通じる追手門のことをいい、ここにはかつて「多聞(たもん)櫓」が建てられ、直径約1.8m」の大太鼓が備えられ、藩主の登城や非常事態の時などの合図に使われたことから「太鼓門」といわれたそうです。

突き当りは石垣で阻まれるため、右に行かないと近づけません。

高い石垣の両側から挟み撃ちにする造り

「赤瓦」が印象的な名城! 「優美な美しさ」に感動です♪

「旧表門」から仰ぎ見る天守閣

城内見学の入り口

地階は食糧庫

五層の最上階から見た景色。向こうの山が「白虎隊」で有名な「飯盛山」かな?

「干飯櫓」を望む。中央の門が「鉄門」

「鉄門」をくぐって天守閣を仰ぎ見ます。本当に美しいお城です!

天守閣をぐるりと一周すると石垣の「いろんな積み方」が見られ、しばし時間を忘れます。

登閣記念の御城印を記念に頂いてきました(一枚300円)

七日町(なぬかまち)通り

鶴ヶ城を出て、周遊バス「あかべぇ」で七日町駅まで乗車!

なんともレトロな趣の駅舎♪

内部は、お土産ショップとカフェ

七日町駅前で、ようやくボンネットバスに出合いました(笑)

歴史のマチ会津「まちなか散策」します!

七日町駅を出ると、すぐに「阿弥陀寺」。会津東軍の墓地があります。

鶴ヶ城の遺構「御三階(ごさんかい)」↓

明治初年まで、鶴ヶ城本丸にあった江戸時代の建築物で、外観は3階ですが内部は4階。

当時は密議所に使われていたといわれ、物見や展望台の役目も果たしていたということです。

明治3年にこの地に移築。戊辰戦争で焼失した阿弥陀寺の本堂として使われてきました。

昔から営まれている商店などの街並みが続きます。

ここ「空山NEO」(くうざん)でお昼!

福島に来たからには「喜多方ラーメン」が食べたいという妻アンのご所望です。

たまたま目にしたこの店・・・ひっきりなしにお客さんが! 繁盛してます!

メニューは、おおまかには醤油の「空」、味噌の「山」、塩の「雲」

妻はあっさり系が好きなので「雲」

私は、エネルギーを蓄えるために?「雲」の肉盛り!(笑)

ちょっと太めの自家製ちぢれ麺と、トロトロチャーシューで、スープもあっさり!

普段、肉には微妙な反応の妻も、チャーシューをほおばり「うまい!」

二人とも満腹にて、しばし休憩タイム・・・

野口英世青春通り

続いて、野口英世青春通りへ!

ノスタルジックな街並みです。

ここは、アメリカで最新医療技術を身に着けた渡部鼎(かなえ)先生が

明治23年に開業した「旧会陽病院跡」です。

野口英世が幼少の頃に左手に負った「火傷」を渡部先生の執刀で手術を受けたことがきっかけで、医学の道を志し、ここ会陽病院に書生として入門!

彼は2階の書生部屋で猛烈に勉強し、明治29年に上京するまでの3年間、

多感な青春時代を過ごしたといいます。

2階には英世の生い立ちや、生前の生活をしのぶ物がズラリ!

お母さんが息子・野口英世にあてた「有名な手紙」も展示されています。

覚えたばかりの文字で書かれた文章が胸を打ちます😢

会津武家屋敷

次は周遊バス「ハイカラさん」で会津武家屋敷へ!

ここは、幕末の会津藩家老の「西郷頼母邸」を復元したものです。

菊まつりが開催されていました。

武家屋敷のかまえに、菊が似合いますね!

庭も立派!

戊辰戦争の際、ここで「西郷一族21人が自刃」したという悲話が伝えられています。

弓道体験場もあり、カップルが試射! 果たして互いの心は居抜けるか?💕(笑)

とても短い時間では回り切れません。それほどに広いお屋敷です。

飯盛山(いいもりやま)

陽も西に傾いてきました。

日本史の中で、明治維新・前後期において、体制が一変する地殻変動がどのようにして起き、

「朝敵」にされた「会津藩の忠誠心」はどう貫かれたのか、とても興味があります(^^)/

ここから山に登ります。

坂道を少し上ると「飯盛山・動く坂道」

階段は長そうなので、動力に頼ることにしました(笑)

スロープコンベアに乗り、階段道を横目に楽ちん!楽ちん!

スロープコンベアを2基乗り継いで、最後の階段を上ります。

視界が開けて広場に出ました。

ここに「白虎隊十九士の墓」があります。

戊辰戦争の激戦地のひとつ、会津若松でも「飯盛山の白虎隊自刃の碑」では、

幕府に忠誠を誓って果てた「若き志士たちの無念」に合掌・・・

「白虎隊志士のお墓」に手を合わせたあと、自刃の地へ!

階段を下ります。

遥かかなたですが、鶴ヶ城の天守閣が見えました(写真上手く撮れずごめんなさい)

白虎隊は14歳から17歳までの男子だったそうですね。

最期、煙に包まれる城下町をどんな気持ちで見ていたのでしょうか・・・合掌

妻アンが泣いていました😢

さざえ堂

階段を下ると、案内看板が見えます。

階段わきの通路を道なりに進みます。

奇妙な形の建物が目に飛び込んできます。

妻アンが長年訪ねたかった、寛政8年(1796年)建造の「六角形・三層構造」のお堂、

国の重要文化財「さざえ堂」です。

※内部は、上り階段と下り階段に分かれ、すれ違わない仕組み! 面白いです!

以前、某番組でタモリさんがこの隙間を特別に通していただいていましたね。

さざえ堂から階段を下ると・・・

「戸の口堰洞穴」

戊辰戦争で、戸の口原の戦いで敗れた白虎隊の隊士が潜って逃れてきた洞穴です。

こうして、史跡を巡っているうちに陽もすっかり沈んでしまいました。

これから、鶴ヶ城のライトアップ見学に向かいます♪

まん丸お月さんと鶴ヶ城🌕

風もなく良い天気に恵まれました♪

幻想的!

さあ、駅へ戻りましょうか。

こうして、会津若松の2日目も終わりました。

事前リサーチで、ぜひ見ておきたい所はほぼ抑えられました。

しかし、会津若松は1日で廻り切るには広いマチ・・・

今度は「東山温泉」にも泊まってみたいと思いつつ帰途に着きました。

会津のみなさん、ありがとうございました!

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