夫のマシュウです。
私は毎朝、現役時代からの習慣で、食卓上に朝刊を広げて流し読みするクセがあります。
そのため、せっかく並べた朝食の肩身?が狭くなり、
妻アンの表情には、ヤレヤレといった様子が伺えますが、
朝一番の情報収集のためだからと、昔から言い聞かせていますので?
一応は従っています(ここは亭主関白)(笑)
実は、食卓をはさんで向かいに座る妻も、私の読む新聞の見出しを「逆さ読み」しながら
記事を追っているんです。コレ、特技らしいですよ(笑)
お悔やみ欄
そんな二人が必ず一緒に目を通すのが「お悔やみ欄」です。
北海道新聞の朝刊には、北海道全域を網羅して
掲載を希望した人の「死亡のお知らせ」を載せています。
自分達に「縁のある土地」で「知ってる人」が亡くなっていないか、
市町村ごとに、くくられた案内を食い入るように見るのです。
この日、お悔やみ欄を見ていた妻が「あっ!」と声をあげました。
同じ地区に住む人の名前を見つけたのです。
妻「あ!この人、私の知ってる人と同じ名前で年齢も近いし、もしかしたら同じ体操教室に通っていたときの人かも?」
と、その場ではしっかり思い出せず、次のページを手繰ります。
知ってる名前が!
しばらくして、妻が思い出したように話しかけてきました。
妻「パパ、さっきの人ね、やっぱり、体操教室でお互いのネームプレートを見て、
同じ名前だねって話していた人に違いないわ」(-_-;)
私「何か悪い病気だったのかな?」
妻「いや、やせ型だったけど、思い当たるような節はないよ。お元気そうだったもの」
あらためて朝刊のお悔やみ欄を確認してみると、すでに葬儀は終了していました。
妻「少しでも自分と縁のある人が亡くなったのを見つけると何かさびしくなるね」😞
また知ってる人が!
さらに、1週間ほど経ったある日の朝食のとき、いつものようにお悔やみ欄を一緒に見ます。
知ってる人はいないか?
あれっ?同じ町内会の人じゃないか?
思わず妻に声を掛けます。
妻「あ!子供の小学生時代の同級生のお母さんだよ。私と同い年だったんだね」
「昔、子供会の役員も一緒にやってたの」
「スーパーで働いていた時期があって、そういえば最近見かけなくなってたんだけど・・・」
「悪い病気だったんだろうか?確か子どもが2~3人いたはず」
こうして身近で、知っている人が亡くなったことを知ると複雑な気持ちです・・・😞
私の同級生も!
そういえば、何日か前のお悔やみ欄で
私の出身地の田舎町に住む、同級生の名前を見つけました(-_-;)
彼は高校卒業後も地元に残って会社勤めをしていました。
私が田舎を離れてからは、ほとんど会ったことはなかったのですが、
幼かった頃、彼の家で一緒にやんちゃな遊びをしたことをふっと思い出しました。
お悔やみ欄を見るにつけ・・・
こうして数日の間に、立て続けに知っている方の死亡を知ることとなりました😞
お悔やみ欄には、天寿を全うしたように高齢で亡くなった方もいれば、
こころざし半ばで、これからという若さで亡くなった方もいます😞
それぞれにどういう事情があったかは分かりませんが、
病気だったのか事故だったのかと思いを巡らせます。
特に、知っている人の名前を見つけるにつけ、
自分のこととしても「死」を「身近」に捉えるようになります😞
そして、あらためて「残された時間を大切にしなければ」
と、毎朝、気を引き締めるときでもあります。