親の生きざまを見て、自らの生き方を学ぶ!

夫のマシュウです。

私の両親、妻の両親ともに長生きで、4人揃って健在なのは珍しいと言われてきました。

しかし、ここ数年は、みな介護施設暮らしとなり、

私たち夫婦は「生きる意味」「長生きの意味」について真剣に考えるようになりました。

施設で介護されて暮らす親の気持ちは?

自分の人生に満足しているのだろうか?

やりたいことをやり残してはいないのか?

そんなことを考えているうちに、ついに双方の父親を送るときが来てしまい

私も「死」を意識するようになりました。

今回、父親の死によって「自分自身の生きざま」「死にざま」について

妻と話し合うことが多くなりました。

後世への最大遺物

ここで「座右の書」とでもいうべき、明治時代の思想家の内村鑑三の

「後世への最大遺物」という本に書かれていた「言葉」を思い出しました。

それは「人は生きてきたことのあかしとして、後世のためになるものを遺さなければならない」です。

内村鑑三は、後世に遺すもので一番良いのは「お金」だといいます。

お金があれば、後世の人がそのお金を使っていろんなことができるので喜ばれます。

でもお金を遺すことは簡単なことではありません。

では、次にできることはというと「事業」を遺せといいます。

これもお金がかかり誰でもできることではありません。

では、その次は「思想」を遺せといいます。

本を書いたり、人にものを教えたりすることだといいます。

これだって大変なことでしょう。

では最後に「誰にでもできて最も大切なこと」があるといいます。

それが「勇ましい高尚な生涯」を送るということだといいます。

「お金」や「事業」や「思想」を遺すのはそれは立派なことですが、

時として間違った使われ方をして害をもたらす恐れがありますが、

「高尚な生涯」は有害になりえないといいます。

そして、後世の人の生き方に影響を与えると主張します。

父親の生きざま

父親の死に際して、思い出したのがこの言葉でした。

葬儀社や斎主から、葬儀で使うため「父親の略歴」を求められました。

父親がいつの間にか書き溜めていた「自筆の略歴」を、あらためて私がワープロで

まとめながら、父親の人生を振り返っていました。

父親は大正から昭和に代わる時、本州の貧しい農家の5男4女の4男として生まれ、

恐らくは「口減らし」「北海道の親戚を訪ねて流れてきた」ものと思われます。

仕事を転々としながらも、天職を見つけたのでしょう。

その会社の「永年勤続表彰」を受けるぐらいまじめに働いていた様子がうかがえます。

若い頃は、仕事帰りに飲んだお酒の勢いで、家に帰ると「母親を泣かせる」ことなど茶飯事でした。

そんな父親でしたので、私が初めて妻アンを両親に紹介した時、母親は妻に

「この子が暴力を振るうようなことがあったら私に言いなさいね。私がきつく叱るから」

「暴力は母さんひとりでたくさんだからね・・・」と言ったそうです。

若い頃の父親の「やんちゃぶり」を物語るエピソードです(^^)/

しかし、

歳をとるにつれ穏やかになり、母親の言いつけを素直に聞くほどに成長?した父親!(笑)

母親のアッシー君として買い物に付き合い、ドライブを楽しんだりと

夫婦での行動が近所の方からうらやましがられていたようです。

晩年は、テレビの前で夫婦二人で「水戸黄門」を見ては大笑いし、

大相撲の放送では「懸賞幕の本数」を数えていたことを思い出します。

そんな父親の死にショックを受け、母親は棺の中の父親の顔を撫でて泣いていました。

父親の遺したもの

おそらくは、

父親は意識しないで「清もある、濁もある」そんな生きざまを見せつけてきたのでしょう。

そして、

私たちに自分の「高尚なる人生」「最大の遺物」としてしっかり遺したと思います。

少なくとも私の人生に影響を与えたのだから・・・(笑)

じゃあ、私は何が遺せるだろうか?

う~ん・・・私は私なりに、妻や子供に影響を与えていく生き方をしよう!(笑)

親はくどくど言わなくても「自分の背中で生き方を教えている」ものなんですね!

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