夫のマシュウです。
新年が始まり、今年こそはと新しい気持ちに切り替えたいところですが、
相も変わらず、新型コロナの新規感染者数の報道から始まり、
初詣も、分散参拝が呼びかけられていました。
新年の初売りを彩る福袋も、すでに昨年のクリスマス頃から発売!
これも「新しい生活様式」の「静かな年末年始」の過ごし方でしょうか(^^)/
新型コロナはこれまでの日本の風習を、いとも簡単に打ち砕いてしまう厄介者です。
福袋は買わない主義?
私が会社に勤めていた頃は、元日から仕事に出ていましたので、
初売りの福袋を買い求める人の行列に出くわしたことがあります。
みなさん、朝早くから待っているんですね。
行列までして買いたいものなのか?私にはよくわかりませんでしたが、
我が家では、結婚以来一度も買ったことがありません。
欲しいものが入っていればいいのですが、
ほとんどは必要のないものばかりじゃないの?
売れ残りを入れてるんじゃないの?と福袋の中身を疑ってしまう自分・・・(^_^;)
母親は福袋が楽しみ♪
その原点は?私の母親にあります(^^)/
私が実家にいた頃の話でずいぶん昔のことになりますが、
母親のなけなしの大枚をはたいての買い物といえば、
年に一度の福袋を買うときぐらいのもの・・・
それが「おふくろの楽しみ」だったようです。
地方の、それも田舎町の衣料品店の福袋でしたから、
それこそ流行遅れの売れ残りしか入っていないのですが、
それでも何か期待するところがあったのでしょうかね。
1度に2つも買ったことがありました。
最初は1個買ったのですが、中身が気に入らず、もう1個!
しかし、気に入ったものがなく、ガッカリしていた姿を覚えています。
ほら、やっぱりはずれたでしょう(^^)/
それでも懲りずに、次の年にはまた期待して買ってしまう母親でした。
今では、中身もわかるような福袋もあるようですが、
昔は明らかに?売れ残りのモノが入っていたのです。
「お年玉で買ってね」
私が家庭を持った後は、妻の計らいで毎年両親にお年玉を渡していました。
「これで福袋を買ってね」という言葉を添えて・・・
もっとも、冬場は交通機関が乱れるのであまり帰省はできませんでしたから
ほとんどは郵送でしたね。
そんな両親が急に入院してしまって、もう家に戻ることがないとわかったとき、
私たち夫婦が実家に行き、両親が保管していた書類を整理しようと
カップボードの引き出しを開けたときです。
封筒に入ったお札を見つけました。
のし袋の束も一緒になっていました。
表には妻アンの文字で「お年玉」「お小遣い」と書いてましたので
私たちがこの数十年の間に、両親にあげたものでした。
何と袋のウラには、〇万円・・と几帳面に?書いてあり思わず笑ってしまいました。
亡き父親はきっちりとしていましたからね!(笑)
妻「おばあちゃんたち、あげたお小遣い使わないでとってあったんだね」
「自分の好きな福袋でも買えばよかったのに」
私「子供からもらったお金だと使えないのかね」
「渡したときは、大事に使わせてもらうからね~と言ってたけど、
親って子供からもらたお金って使えないものなのかな?」
この時期になると思い出される両親のエピソードです(笑)
もう福袋は買えない
今では、父親は亡くなりましたし、施設暮らしの母親に
お年玉を渡すことは出来なくなりました。
おふくろも、福袋を買う楽しみを味わうことなんて、もうできないんですね。
なんとも寂しさを感じますが、元気で暮らしている様子ですから
これで良し!としなければ・・・(^^)/