夫のマシュウです。
世間は、新型コロナ禍が収まらないにもかかわらず、
移動制限なしのゴールデンウィークに入り、
行楽地の賑わいを伝えるニュースに溢れています。
我が家ではこのゴールデンウィークに移動する計画はありませんが
人混みでの感染対策には十分気を付けたいと思っています。
そんなゴールデンウィークを前にして起きてしまった「知床の海難事故」の悲惨さ。
その詳細を知るにつれ、まさに「人災」だったとやりきれない想いがします。
『板子一枚下は地獄』だというのは、
何も漁師さんや船乗りの仕事が危険だということだけでなく、
お客さんを乗せる観光船も、人の命を預かる危険な仕事だということを強く感じています。
話しは変わりますが、
妻が20歳になったばかりの頃、友だちと知床旅行に出かけたことがあります。
そのときも、ウトロから小さな漁船に乗船して知床岬を目指したそうです。
(宿泊していた民宿のご主人が漁師さんでした)
当日の海は、なぎで揺れもなかったようなのですが、
出航するや、妻は船酔いで気持ちが悪くなり吐いてしまい、
「目をつむってれ!」の船頭さんの言いつけを守り、じっと船のへりにつかまって、
ひたすら耐えていたそう・・・
なので、知床の海岸線の景色の想い出は、
一瞬のまばたきの切り取り映像の記憶でしか残ってないそうです。
以来、妻は船が苦手だといいます。
しかし結婚後も旅行しているときなど、苦手な船に乗る機会も結構あるのです。
いまだに辛かった思いを語るのは「青函連絡船」に乗ったときのことでしょう。
新婚時代、函館から海を渡って、十和田湖や奥入瀬渓流を観に行った帰りのこと。
青森駅前でお昼のラーメンを食べて乗船した青函連絡船。
津軽海峡は、折からの強風で高い波が荒れ狂い、船腹に波が当たって砕け散るわ、
船体が上下左右に揺れること甚だしいわで、出航してまもなく、妻はトイレに籠城!
函館港に着くまで出て来ることができませんでした。
そんな辛い思い出がいまだにトラウマになっています。
もうひとつ、子供がまだ小さかった頃、確か2歳になる少し前。
留萌(るもい)港から「天羽丸(てんぱまる)」という小さな船に乗って
天売・焼尻島観光に出かけたときのこと。
まるで木の葉のように揺れながら、波しぶきをあげながら進む船の後甲板で、
子供を抱いて「降ろして~!」と叫び続ける妻のそばで、私が「大丈夫だから!」と・・・
しかしこのときの揺れは凄まじかった!
そんな船嫌いの妻でも、旅行先で、結構、思いつきで船に乗ることがあるんです。
きっかけは「伊勢・鳥羽」の旅をしていたときのこと。
海女さんショーを見学した後、鳥羽港のそばを歩いていたとき、
出航間近の遊覧船に出合ってしまってからでした。
とっさに「乗ろうか?」「乗ろう!」と思いつきで急きょ飛び乗りました。
海風を身体に浴びながら鳥羽の海岸線の美しい景色に、すっかり魅了!
この日は好天で波もなく揺れもなし!良い船旅でした!
それからは遊覧船に乗るのが好きになってしまった妻。
それでも「福岡の柳川の川下り」で
妻「救命胴衣を着けないのかしら?」
私「狭い堀だからすぐ救助されるから大丈夫だもの」
それでも怖がりの妻は、意を決して船頭さんに
「あの~、すみませんが、救命胴衣は着けないんでしょうか?」
船頭さん「ここは浅いから、落ちても背が立つので着けなくてもいいんですよ」
そうなんだ・・・でもおぼれたら?
一抹の不安を抱えながらのお堀巡りでした。
その後は、彦根城や、松江城などのお堀クルーズを楽しむクセが?ついてしまった妻アン。
そうそう、小樽でも運河クルーズを楽しみました。
震災後の松島でも遊覧船に乗船していい思い出になりました。
本来なら楽しいはずのクルーズ!
今回、船会社のずさんな運営を聞くにつけ、
前もってそんな会社だという情報を知っていたなら、
乗ることもなかっただろうに・・・やりきれない気持ちでいっぱい!!!
悔しい悔しい海難事故です!!!