夫のマシュウです。
長崎といえば、先の大戦末期に「原爆の悲惨な惨禍」に見舞われた地です。
以前、広島を訪れたとき、原爆ドームに心を痛め、長崎にも一度は訪れたいと
13年前に初めて平和公園、爆心地、浦上天主堂などを訪ねました。
永井隆記念館や如古堂(にょこどう)では、展示品を見ながら涙がとまらず、
当時の印象が強烈だったことを今でも脳裏に焼き付いています。
二度目の今回は、違う長崎を探して巡ることにしました。
長崎は・・・
日本の中世以降「海外との玄関口」として歴史を形作ってきた舞台でもあります。
今回の旅のもう一つのテーマは「キリスト教布教の歴史の舞台」
訪れたのは「外海(そとめ)地域にある教会群」です。
ここは世界遺産『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』に指定されている地域の一部。
世界遺産に指定されている教会を見学するには、
あらかじめ電話やインターネットで「予約」が必要です。
私の場合は、訪れたい予定日から2日ほど前だったので
「長崎の教会群インフォメーションセンター」に電話で予約しました。
最初に訪れたのは「大野教会堂」
長崎駅前から、長崎バスと、さいかいバスを乗り継いで
「およそ1時間15分の道のり」です。
桜の里ターミナルで、さいかい交通の「大瀬戸・板の浦」行きバスに乗り換えます。
「大野」バス停で下車。
きれいな海を見ながら坂道を上ること約10分。山の中腹に教会の建物が見えました♪
急な坂道が続きます。
おーーー!見晴らしいいねー!
ボランティアの「教会守の川辺さん」が、私たちの到着を待っていてくださり、
教会の成り立ちについて懇切丁寧に説明していただきました。
畑を宅地にして、教会の建設にあたっては「ド・ロ神父の指導」で
地元民がいわば地産地消で裏山の岩を人力で割って積み上げたとか・・・
それを赤土と石灰、漆喰で接着剤にしたことなど・・・苦労がしのばれます。
屋内には柱がなく、天井も板張りで、ガラスもステンドグラスではない質素な造りです。
奥の増築部分は和室造りになっていて、巡回して来る神父が前泊に使っていたといいます。
当時、この地区の信者は「26世帯」
しかし今では「8世帯11人」に減ったそう。
現在の巡回教会は年1回のミサを執り行っていて、今年は10月2日(日)だったそうです。
静かな山間にひっそりと佇む大野教会堂と、バラのコントラストに惹かれます♪
何とも言えない「静寂感」に包まれて穏やかな気持ちになりました♪
マリア様のいつくしみ深い表情が印象的。とても美しいお顏です♪
正面の玄関
ひとつひとつ石を積み上げて壁が作られています。
教会守の川辺さんが、大野教会堂の由来について説明してくれました。
妻アンが真剣に耳を傾け、メモを取っています。私もね!(笑)
お告げのマリア修道会のシスター4人の住まいがあったという跡地。
井戸だけが残っています。
教会堂の建っている場所には「石垣」が積み上げられています。
とても有意義な時間を過ごすことが出来ました。
教会守の川辺さん、ありがとうございました♪
次に向かったのが「出津(しつ)教会堂」
最寄りの「出津(しつ)文化村」バス停で下車
海風景に癒されました♪
風俗資料館の横の階段を下りて「世界遺産のスポットめぐり」スタートです♪
散策途中に可愛らしい「憩いのパビリオン」
旧出津(しつ)救助院へ
眼下に見えてきたのが「旧出津(しつ)救助院」
たまたま他に見学者がいなかったので、シスターが案内してくれました♪
「貴族」の出だったフランス人宣教師「マルコ・マリー・ド・ロ神父(ド・ロ神父)」が、
私財をなげうって、ここ外海(そとめ)の「女性」を「貧しい生活」から救いたいと、
女性の「自立支援」のための手に職をつける「施設」を作ったのがここです。
薬局だった建物
「マカロニ」や「パスタ」の工場だった建物
授産場の内部
授産場の地下には「しょうゆ作りのかめ」が置かれていたといいます。
授産場では、ド・ロ神父の指導で「機織り」「素麺作り」「カンコロ作り」「製糸作業」など「新たな技術」を女性たちは学びました。
このカンコロ切り機はド・ロ神父の考案になるものです。
素麺伸ばし機もド・ロ神父が考案したものです。アイディアマンですね!
授産場2階は「ド・ロ神父のミサの場」
三体の像と時計とオルガンはド・ロ神父がフランスから取り寄せたもので、
今も当時のままに置かれています。
「ハルモニウムオルガン」はド・ロ神父が明治22(1889)年頃に購入して、
毎日のミサに使用したといいます。今のパイプオルガンの原型らしいです。
およそ140年前のハルモニウムオルガンの響きをシスターの演奏で聴くことが出来ました♪
「いーつくしみふかーき♪」と奏でられる「讃美歌」のメロディに妻アンは大感激!!!
演奏が終わると「ありがとうございます!素晴らしいです!」と目頭を熱くしていました。
子供がカトリック系の幼稚園に通っていた時代を思い出し、
この「動画」を早速子供のスマホに送っていました。
これは、今回の旅一番の「思い出深いエピソード」になるかもしれませんね(^^)/
旧出津(しつ)救助院を出ると、となりに「ド・ロ神父記念館」があります。
その庭に建っている「ド・ロ神父と子供たちの像」にいつしみ深さを感じます♪
出津(しつ)教会堂へ!
ド・ロ神父記念館を出て、ド・ロ神父も通ったという「歴史の道」をたどって、
出津(しつ)教会堂に向かいます。
歴史の道をたどると出津教会堂に出ます。
この教会堂は「明治15(1882)年にド・ロ神父の設計・施工」で建てられました。
ここで案内していただいたのが「教会守の高橋さん」です。
教会が建てられて140年が経ちます。
この地区の信者は「600人」いるそうです。
正面玄関は「石造り」屋根は「瓦ぶき」
台風が多く、海岸に近いので風が強いことを考慮して「低い造り」となっているようです。
素晴らしい建物です♪
苔むした石段や石垣が歴史を物語っていますね。
左手の「鐘楼の鐘」はド・ロ神父がフランスから取り寄せたものです。
正午の合図?に美しい鐘の音を響かせていました♪ 私たちも聴くことが出来ましたよ♪
遠藤周作の「沈黙の碑」から漁港を望む景色がすばらしい!
出津(しつ)教会堂を見学し終えて「出津(しつ)文化村」バス停に向かう途中。
雲間から「天使のはしご」があらわれました♪ いいことありそうです♪
黒崎教会
「黒崎教会前」バス停で下車
バス停そばの石積みの階段を上ります。
「レンガ造りの黒崎教会堂」があらわれます。
遠藤周作の「沈黙」の舞台となった黒崎の地に建つ教会として有名だそうです。
この日はミサが執り行われていて内部の拝観は叶いませんでした。
明治30(1897)年に「ド・ロ神父の指導で敷地が造成」、明治32(1899)年から建設計画が進められ「大正9(1920)年に完成」したといわれます。
赤レンガがとても美しい教会です♪
ここも素晴らしい建物でした♪
ド・ロ神父
こうして、外海(そとめ)地区の教会群を見学してきましたが、
ド・ロ神父のことを初めて知り、
その「生涯を外海の信者のために捧げた生き方」に感銘を受けました。
聞けば「貴族の出」だそうです。
故郷を離れて「宣教師」として日本に渡る際、きっとお金が必要になるだろうと、
母親から今のレートで10~15億円ものお金を渡されたといいます。
そのお金が出津の人々の自立支援に使われたのでしょうか。
ド・ロ神父のお父さんのノルベールの教えが、
家や土地などの財産はいつ失われるかわからないけれど、
どんな政治・社会の変動の中でも生きてゆく・・・
それも「よりよく生きる力」を身につけさせたいと思って、家庭教育をしていたといい、
そのような「お父さんの考え方」が、息子ド・ロ神父に受け継がれたのかもしれません。
そして、素晴らしいシスターと出会った旧出津(しつ)救助院で買い求めた本がこれ!
今回の見学を機に、もう少し詳しくド・ロ神父のことを調べてみようと思います♪
コメント
こんにちは ジェリーです。
まあ~なんと良い佇まいの教会でしょう!「大野教会堂」素朴でとても印象的です。
所謂ヨーロッパの教会建築らしくなく、日本の山奥の分教場の校舎みたい..素朴でかわいい作りですね。細部を見てみると窓のアーチや丁寧に積まれた石積みの壁、特徴ある入口の構造、雨戸の工夫など何とも言えない味わいがあります。
秘めた信仰心を胸に当時の人たち、手探りで懸命に作り上げたのでしょうね。
ジェリーさん、コメントありがとうございます。マシュウです。
ホントに質素で素朴で、生活のなかの祈りの場という感じで感銘を受けました。
ジェリーさん、こんにちは。アンです(*^-^*)
教会守の方も子供のころからこの教会に通い、
「信仰」を土台にして人生を歩んできたとのこと。
ぼくとつで、穏やかで、素晴らしい方にお会いできました(#^.^#)
建物もホントに素晴らしかったです♪