夫のマシュウです。
妻の父親が亡くなってひと月が経過しました。
失意から立ち直りつつあるのか、妻は父親の遺した物の整理などにも目が向くようになりました(^^)/
義父の実家の遺品
義父は、札幌のグループホームに移り住む前に、故郷の道南の小さな町に実家を構えていました。
そこでは今も残された義母が暮らしているのですが、義父の部屋は札幌に出て来る時のまま、まさに時間が止まった状態で放置されていました。
一時は、札幌に出るのを機会に片付けようかという話も持ち上がったのですが、
義父が元気なうちに自分の物が処分されて何もなかったらガッカリするだろう、
ということで、家を出る当時のままにしてありました。
父親は物を捨てるのが嫌いで、何でも大事にとっておく人でした💦
あれから7年が経過し、父親の部屋は開かずの間。
その持ち主のいなくなった「部屋の扱い」をどうするかということになりました💦
実のところ、残された家族からは、以前から「汚部屋扱い」されて、
価値のない部屋であり、物、だったのです💦
娘である妻の気持ちとしては、今さらひとつひとつ整理しても、つらい気持ちになるのがイヤだということで、父親の部屋の物は全て「産廃業者に処分を委ねることにしたい」という意向です。
遺品の扱い
自分では価値があると思う「モノ」でも、他の人にしてみれば「え?ナニコレ?」となることがあります。
父親の場合もまさにこのケース!
亡くなった後の遺品の扱いはこんなものです💦
さて、我が身に置き換えてどうしようか?と、ふと頭をよぎりました💦
断捨離派
ひところ(今もそうかもしれませんが)「断捨離」という言葉が、はやりました。
身の回りの物を片付けることの必要性を説かれ、
いつか使うとか、いつか役に立つだろうというようなものは捨てろ!と言われます。
俳優の高橋英樹さんがテレビ番組で、人の勧めで断捨離した結果、
部屋の物がほぼ全てなくなってしまったとお話しされていたのを思い出しました。
そのため、今は、買い足しているとも・・・
笑うに笑えない話です💦
過ぎたるは及ばざるがごとしで、お金持ちならそれも許されることでしょうけど
私たち庶民には買い足しなど程遠い話。
断捨離の失敗は許されません。
放置派?
本人が暮らしやすければ、無理に断捨離しなくてもいいという考えもあります。
部屋に物を置くスペースがあるのであれば、その部屋のキャパシティいっぱいにため込むという選択もありそうです。
テレビの「家ついてっていいですか?」でよくみられる、足の踏み場もない汚部屋の光景がまさにそれ!
私などはテレビに向かって思わず「片付けろ~!」って叫んでしまいます💦
なかには「片付けられない」という人もいます。
必要か必要でないか?の判断基準が定まらないんでしょうか。
これもまあ、部屋のキャパシティがあればムリに捨てることではないはず。
その人の性格ですから。
住む人のいない実家
私の実家は、両親が介護施設に居ますので空き家です。
まだ亡くなってはいませんが、私たち夫婦がまだ元気なうちに
割り切って片付けた方がよいのでしょうか?
現在は家具調度品、日常品などはそのまま残しています。
両親のご機嫌伺いに介護施設に行った際、実家に寄った時に、
両親が暮らしていたことを思い出すために・・・です。
なので二人とも亡くなった時に、家具や備品はリサイクル業者にまわすか、
産廃業者にお願いして廃棄することになるでしょうね。
住む人がいないからといってすぐには片付けられないものです💦
私の執務室のものは?
自分の持ち物の整理というのは、片っ端から捨てることではなくて、
部屋のキャパシティによって決まるということじゃないか?
汚部屋でも置く場所のキャパがあれば、その人の価値観で溜めることができます。
我が家でも、私の現役時代に活躍したワイシャツやスーツ類などはめっきり着ることがなくなり、タンスの肥やし・・・と化していました。
先日、増える旅行本などの置き場に困り、妻がとった手段は、私の衣類を捨てることで、
本を置くスペースを確保することでした。
使うことがなくなったものは、容赦なく捨てる!
これが妻の考えでした。
「いつか使うかもしれない」は、逆に「いつまでたっても使わない」に通じることだとも言いながら捨てていました。
割り切り、いいです! うちの奥さま!!(笑)
しかし、私の考えはちょっと違い、敢えて断捨離を美徳とは思わないです。
かといって、部屋いっぱいにものを溢れさせる汚部屋派でもないです。
きれいな環境で過ごすことができるように整理整頓することが必要なのだと思っています。
日常の整理があって、それが身辺整理につながります。
身辺整理とは、私が死んだ後、残された人が処分に困らないようにすることじゃないかとも思います。
そう理解して、妻に叱られないように、我が執務室の環境整備?をする日々です(^^)/