葬儀と供養について考える

夫のマシュウです。

今回、私の母親を「直葬」で見送りました。

10年以上前に読んだ島田裕巳著『葬式は、要らない』では

当時は葬儀は通夜とか出棺の儀式などで軽く100万円は超えるのが当たり前の時代でもありました。

その本で初めて簡素な葬儀方法として「直葬」という送り方があるのを知った私。

近頃

「葬儀費用が多額になることが社会問題」にまでなっています。

その反動?で、お金を掛けないお葬式が、テレビでも取り上げられ話題に!

私も少なからず先ほどの本に書かれていたことが参考になっていました。

ところで

上皇さまがご自身の葬儀について、大幅に簡素化する意向をお持ちだと報道されていました。

私たち世代は昭和天皇の「大喪の礼」を覚えています。

あの時は社会活動が自粛、自粛で、静まり返っていたように記憶。

それを踏まえてお考えになられたことだと思います。

最近では、有名人の葬儀でも「身内だけで済ませました」という記事を

見かけることも多くなりましたね。

「簡素化の流れは時代の流れ」なのかもしれません。

母親を送って

葬儀は執り行う人の問題だと思うのです。

母親の場合は、高齢でお付き合いしてきた方も他界されほとんどいません。

なので、規模は小さくてもいいと考えました。

仏教式の場合は、お布施の他に戒名が数十万円もします。

妻の祖母が亡くなった時

連れ合いが先に亡くなっていたので、その方の格を上げなければ釣り合いが取れないからと、

連れ合いに改めて戒名をつけるのにまた数十万円もの出費!

まったく、なんじゃ、こりゃーです!

私の母親は生前、自分たち夫婦の葬儀は神式でと考えた理由に、

仏式よりお布施が安く戒名がいらないことで、費用を安く抑えられると思っていました。

ですが!

神道で行った父親の葬儀費用はそれほど抑えられませんでした。

葬儀を立派にしてあげないと?

「亡くなった人がかわいそう」という人がいます。

死んだ人には感情はないのですが立派なお葬式にするためにお金をどこまで掛けるのかは、

どこまで見栄を張るかの程度によるでしょう。

故人にお金をかけ盛大に送った後に遺されたものが貧乏になっては本末転倒?

故人が閻魔大王から受ける裁きも、お金の多寡で決まるということわざに

「地獄の沙汰も金次第」とあるように、あの世の沙汰も金の沙汰次第?なんでしょうか。

今・・・

葬儀と供養について振り返ると、実家はお寺の檀家でもなかったし、

神社の氏子でもなかったので宗教に縛られることもありませんでした。

その辺は「ドライに割り切れる」素地がありましたね。

あとはどこまで見栄を張るか?

父親の時は、送る側だった母親の見栄を優先したのですが、

母親を送る時は、送る側の我らがまったく見栄を張らないから、迷わず直葬を選択!

しかも、お墓もなし!

遺骨は、父親も眠っている札幌の合同納骨堂に納めることにしました。

そんなドライ?な我らですが、わが家のコンパクト仏壇?には

このたび私の母親が仲間入りしたので妻が毎日水をあげ、一日の無事をお祈りしています。

日常の中で

事あるごとに双方の親を思い出して話しています。

そうそう!親たちの「笑えるおもしろエピソード」がたくさんあるんですよ。

いつか、ご披露できるといいのですが・・・(笑)

こうして「いつも思い出していることが一番の供養」になるのではと思っています(^^)/

 

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