【親との別れ方】をいろいろ考えさせられました💦

夫のマシュウです。

先日、新聞の「お悔やみ欄」を見ていたとき、ご近所の方の住所が目に飛び込んできました。

早速、妻アンに聞いてみると、妻も知っている人の住所。

亡くなったのは、そこのご主人のお母さま。

この方は、息子夫婦とは同居せず、遠い町で一人暮らしでしたが、

足腰が不自由になり、札幌の老人施設に連れてきたということです。

享年が101歳!

とても長生きされたことがわかります。

ですが、最期はどんな「別れ」をされたのでしょうか?

私たちも、遠からず「親の最期を看取る」ことになると思うと、いろいろ考えさせられます。

「妻の父親」の近況は・・・

妻の父親も、私の家の近くのグループホームでお世話になっていますので、

定期的に訪問しては様子伺いをしています。

7年前に入所した当時は「だまされて連れてこられた!グループホームには居られない。家に帰る!」と何度も反乱?をおこし、穏やかに過ごしてほしいという妻アンの気持ちを汲み取ってもらえなかった時期がありました😢

そんな気持ちも、年月を重ねるうちに萎えたのでしょうか。

近ごろでは帰りたいと口にすることもなくなり、訪ねて行くと

「補助クルマ」を押して見送りに必ず、玄関先まで来ていたものですが、

今年に入って、めっきり体力が落ちたせいか、

見送りに出てくることがなくなりました。明らかに変化の兆しです。

そのような父親の様子に、妻はすっかり気落ちして、

「見送りに出る体力もないんだわ。もう長くないんじゃないかな?」と

弱気な発言を繰り返します。

ここ数回会いに行った際も、ホールのソファにダルそうな姿勢で座って、

目をつむっている時間が長いのです。

妻「今年いっぱい持たないかもしれないね」

私「もうこの年になったら老衰じゃないのかな?徐々に弱っていくんだよ」

妻「・・・・・」

私「別れの時間があるということは、恵まれてるんじゃないのかな?」

「今からでもしてやりたいことを、してあげたら?」

妻の落ち込む姿がかわいそうで、どういう別れが訪れるんだろう?と・・・

「私の父親」の近況

先月、特養を訪ねたとき、二人そろって元気そうでしたが、

わずか1週間後に父親が「肺炎で入院」したとの連絡が入りました。

高齢者にとって肺炎は死につながる怖い病。

抗生物質と酸素吸入による治療が始まりました。

入院から1カ月経ち、酸素吸入もようやく取れて、退院の目途がつきましたが、

風邪などひくと予断を許さない状態。

そろそろ「覚悟」が必要です。

遠く離れた親と、どういう別れが訪れるんだろう?

親との別れ

ご近所の方のお母さまのことを聞いて、他人事ではなくなってきました💦

いまだに、私と妻の双方の両親が健在ということに、周りの方も驚かれますが

いつか必ず「別れ」は訪れます。

ピンピンコロリ?

周りに迷惑を掛けずに?「ピンピンコロリ」というのが理想だと思っていましたが、

ある日「突然の別れ」もどうなんだろう?

元プロ野球の野村克也監督と、サッチーこと野村沙知代さんの最期の会話が

「大丈夫か?」「大丈夫だわよ!」だったとか。

「これまでの感謝が伝えられない」と、

残された野村監督の「嘆き」に接したとき、理想的なピンピンコロリのはずですが、

残された者にとっては「悔いが残る」ことになってしまうということを考えさせられました。

病気?

私も、健康年齢といわれる70歳まで、あと片手の指を折る程度になってしまいました。

いつ病気になってもおかしくない、どんな病気が待ち受けているのか?

苦しむのはイヤだな、チューブにつながれて生きながらえるのもイヤだな

家族に迷惑を掛けるし・・・

老衰?

私たちの親のように、介護施設のお世話になるとはいえ、

家族や施設の人に看取られて旅立つということは幸せなことなんだと思います。

それぞれの両親は、恵まれた最期を迎えられるんだということを、

自分に言い聞かせています。

親の最期は子供への「教え」?

こういうことを考えるにつれ、親は子供に「生きざま」も、「死にざま」も見せて、

生き方を考えさせているんだ、ということなんでしょうね。

今、差し迫った別れは、それぞれの親の最期ですが、私たち夫婦間でも同じことが言えます。

この機会に、どういう最期が理想か話し合っておきたいものです(^^)/

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