私はワンちゃんが大の苦手!その原点は・・・

こんにちは。妻のアンです。

私はワンちゃんが大の苦手である(愛犬家のみなさん、ごめんなさい🙇)

それは、死んでも決して忘れることはないであろう「オソロシイ事件」が引き金なのだ。

半世紀以上経った今も、その事件は「トラウマ」となり、私の心のひだに突き刺さっているのである。

相手は大きなシェパード

私は小学校1年生の時、黄色いひよこ?のバッチ欲しさに「オルガンを習いたい」と親に頼み込んだ。

仲良しの同級生もすでに通っていて、ベレー帽につけたそのバッチが何とも可愛らしく

輝いて見えたものだ。

決してオルガンに興味があったのではなく、バッチ目当て・・・何とも不純な動機だった。

そして、めでたく?ヤマハのオルガン教室に通い始めた数か月後に事件は起きた。

自宅からは小さな丘を越えて行かなくては教室に辿り着かない。特に近道もなかった。

慣れるまでの数回は、母親が付き添ってくれたので何の不安もなかったのであるが

一人で通わなくてはいけない時が巡ってきて、あぁ、どうしよう!一人じゃ怖い!と

心細くなった。

なぜなら、大きなシェパード犬が広い庭で「放し飼い」にしているお宅の前を

どうしても通らなくてはならず、子供心にこれは参ったなぁと思った。

付き添いの母親がいた時も、庭から出てきて、ものすごく威嚇して吠えまくり

当時、身長100センチほどの小さな私は、泣きそうになり母親の陰に隠れていた。

今にも飛び掛かって来そうな気配、満々の犬だった。

どうして、ちゃんと繋いでくれないのかと子供ながら腹が立った。

「どうか、神様、ワンちゃんが寝ていますように!」と祈りながら、

ある日、一人でオルガン教室に向かう道すがら、ドキドキしながらその家の前を通った。

おっ! 今日はいないみたいだ! ホッ!

あれっ! 寝ているのかな? うふふ。 これはラッキーだ!

そんなツイテル時?が何度かあり、私はちょっぴり自信?が付いてきた。

一人で通えるぞ~とね・・・

事件は起きた

が、、、、しかし、ある日のこと。

あの大きな犬が、庭から猛スピードで走って来て、私に向かって吠えた!

怖ろしくて、怖ろしくて、とにかく逃げた。

おかっぱ頭の小さな私は必死だ!

生きるか、死ぬかくらいの怖ろしさだった。

助けてーーーーと悲鳴を上げながら逃げたが、その家の人は不在?だったのだろう。

誰も助けてくれる人はいない。 泣いた! 泣いた!

そして、ついに手をかまれてしまった・・・・・

首でもかまれていたら、どうなっていただろうと思う。

シェパードはいなくなったが・・・?

その後、あの犬がどこに行ったのか?

自分は、どこを、どう、歩いて、家に戻ったのか、未だに思い出せない「怖ろしい記憶」

手の傷はたいしたことはなかったが、その晩、私の父親が、そのお宅に

「どうか犬をしっかり繋いでいただきたいのですが・・・」とお願いに行ったのである。

しばらくして・・・・・

私はオルガン教室を辞めた。

習い始めた動機が、ただ、ただ、バッチが欲しかっただけの私は

もしかするとバチが当たったのかもしれない。

そして今は・・・

大人になった「現在」の私は、小さめのワンちゃんなら実は大丈夫!

可愛いとさえ思えるのだ。

特に柴犬の子犬など、愛らしくて大好きだ。

夫と散歩中、中型犬を連れた方に出くわすことがある。

しっかりリードにつながれていて安全?ではあるが、私はちょっぴり腰が引ける。

大型犬なら、おじけづいて、もうダメだ~~の境地。情けないなぁと思う。

私の怖れている胸の内?をワンちゃんに見透かされて、すごく吠えられるのだ。

(ワンちゃんは賢いな~)

反省すべきことは、私のワンちゃん嫌いは確実に子供に影響を与えてしまった。

ワンちゃんは怖い生き物だと植え付けてしまった・・・ごめんね。

でも、大きくなるに従い、子供は「ワンちゃんOK」の人間に育ってくれた。

よかった! よかった!

私が幼い頃に体験したあの『恐怖』・・・

これはどんなに「時」が流れても忘れることができないものなんだなぁ・・・

と、つくづく思うのだけど、いつか、私も大きなワンちゃんだってOKよ~

と、胸を張って言えるようになれるといいなぁ(^^)

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