夫のマシュウです。
母親が亡くなり、私たちの親を全員見送り、
子供としての義務は果たせたかな?と思うこの頃。
親の葬儀を振り返ったり、自分たちの最期についても考えています。
母親の送り方
坊さんもいない、神主さんもいない、そして会葬者も我らしかいない葬儀のやり方について、
死んだ人がかわいそう?という思いを抱く人がいるかも知れませんね。
事実、私の父親が亡くなった時、田舎町の病院から隣町の葬儀会場に運んでいただき
札幌に住む我らと弟夫婦が着くよりも早く、親せき付き合いしていた知人が
父親を迎えてしまいました。
その間、葬儀会場の広い部屋にただ一人寝かされている父親は寂しすぎる?
着いたばかりの弟に向かって「お父ちゃん一人にしてかわいそうじゃないか」と一喝!
一人にするって?かわいそうって?
少なからずその言葉に違和感を感じ、
人生を全うして亡くなったのだから、かわいそうとは思いませんでした。
そもそも死んだ人に意識はないのだから・・・と割り切った考えです。
ですが、翌日のお通夜までの一晩はわれら夫婦が添い寝。
棺におさめる前にシャワーで頭を洗ったり、全身を洗ってきれいにするなどの
オプション?も葬儀社の勧めで執り行いました。
ですが、本当にコレ必要な儀式だったんだろうか?と(あくまでも私感)
今夏、母親が亡くなった時は省略しました。
母親も、病院から葬儀社に運ばれ小さな部屋で一人で一晩安置されていて
小さなお葬式では、添い寝することもできないプランでした。
このようなことでしたので・・・
死んだ人をモノ扱いしているんじゃないかと言われそうですが、それは違います。
亡くなった人のためという送る人の弱みにつけこんだような商売気に感づいてしまうんです。
ただ、静かな厳かな気持ちで送ってあげたいだけ・・・
儀式?の一つ一つにお金がかかるものですから、ともするとケチってると捉えられますが、
ケチるというより、死んだ後に敬意をあらわすんでなく、
生きている間にこれまでの感謝の気持ちを伝えた方が
よっぽど喜んでもらえるんじゃないかと。
生前の母親も死んだ人よりも生きている人が大事だと考えていました。
なので、あとに残った子供たちが苦労することを嫌い、
その気持ちを受け継いでいくことが大事だとも思ってます。
母親の生きざまから受けた教訓を引き継いでいくのが我らのつとめ。
毎日
星の数ほどある親との面白エピソードを思い出しては元気をもらって笑っています!
だから、母親が亡くなったことは悲しいことではないんです。
こんな感じ方、考え方があってもいいのではないでしょうか・・・(^^)/
