最期のときが近づいた?落ち込む妻

夫のマシュウです。

毎日のニュースを見ていると「平穏」だと思う日なんてありません。

どこかで、誰かが、人生の終わりを告げる何かが起こっています。

我が家では毎朝、新聞のお悔やみ欄に必ず目を通すことが日課。

もしや知ってる人が不幸に見舞われてないかと・・・

いまや交通事故で命を落とすことは新聞の三面記事にしかなりません。

世界を驚かせたニュースで人々の心を痛めているのは、

ウクライナの戦争で何の罪もない多くの人が命を落とすことの不条理。

はたまた観光で、たまたま乗船した観光船の沈没に巻き込まれて

命を落とす不条理。

このところ、自分の人生のしまいかたについて考えさせられています。

85歳になる妻の叔母

道南の小さな町に一人で暮らしています。

妻が幼いころから可愛がってくださり、心配してくださり、

何より義父(妻の父親)の亡きあと、兄弟含めた一族のお墓を一人で守っていただいてます。

そんな叔母は数年前、消化器のガンに見舞われ大手術をしました。

その後、昨年春に再発!!

その摘出手術をして無事生還を果たしました

退院後も、健康に気をつけ、病院の検査を受けながら暮らしていました。

心配性の妻は、定期的に電話をして叔母の声を聞き元気を確認しています。

この日は病院の定期検査の日でした。

妻が叔母の帰りを待ってかけた電話!

受話器の向こうの叔母の声に元気がないことを感じ取りました。

ガンを摘出したはずの場所に再びガンができているらしいとのこと。

主治医の話では、たとえガンを摘出しても繰り返しできるらしく

手術は無理だと言われたようです。

お腹を触るとガンが大きくなって、固いのがわかるまでになったといいます。

医者からは食事が上手く摂れなくなったり、痛みがひどくなった段階で入院・・・

と言われたようです。

その話を聞いた妻は、涙を浮かべ

「もう長く生きられないかもしれないね」

「私にね、お世話になったね・・・ありがとうって言ったの」

叔母は自分の運命を覚悟しているようです。

私は「別れの時間があるということは、ある意味いいことじゃない?」と声を掛けました。

こんな言葉が、妻にとっては、なんの慰めにもならないことは分かってます。

わかってるのですが、それ以上の気の利いた言葉を掛けられない自分が歯がゆい!

妻アンは、幼い頃に父親が離婚したため、生母とは生き別れになり、

その後、継母に育てられることになりましたが、継母はしつけと称して、

今で言う「虐待」を続けていました。

そう、父親が会社に行ってる間に起こるオソロシイコト・・・

アンはそのことを父親には内緒のまま、父親は3年前に他界・・・

そんな境遇にいたアンにとって亡くなった祖母や、

今、もう、その命が果てようとしている叔母はまさに「こころのよりどころ」だったのです。

アンの落ち込みようは見ていて可哀そうですが、

人はいつか必ずその生を終える時がやって来ます。

だから別れの時間を大切にしてほしい・・・そう、切に願っています。

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