夫のマシュウです。
昨年末のことです。
京都旅行がキャンセルになって夫婦揃って体調不良に陥って家で養生している最中、
遠く離れた田舎の妻の親戚から一報が入りました。
妻の叔母の姑が104歳で大往生した知らせです。
叔母はながいこと、自宅で姑の介護をしながら面倒を見ていましたが、
老々介護も限界になったものですから、かれこれ10年も前になりますが、
姑は特別養護老人ホームに入所することになりました。
そのうちに、叔母も病気で入院!何度か入退院を繰り返しましたが、
その後の二人は、ついに会うこともできないままでした。
数年前には
姑は認知症になってしまい、訪ねていく人の名前も忘れてしまったといいます。
叔母は、元気なうちに一度会いたいと言ってましたが、
それも叶うことがなく姑は逝ってしまいました。
叔母は自分が姑を看取ると言ってましたが叶いませんでした。
ですが、年の順で亡くなっていったのですから、よし!としなければ・・・
もっとも、叔母には姑の死は知らせてませんが・・・
さて、本題です
叔母の「姑の葬儀の日どり」ですが、
喪主を務める叔父から妻への電話連絡で、
火葬場の都合で、亡くなってから5日も留め置かれることになったとのこと。
都会では、火葬場が混んでいるため、ご遺体をどこかのマンションでいっとき預かるということがあるのは聞いたことがありますが、
田舎の小さな町なのに、そこでも「火葬の順番待ち」ができているということにビックリ!
下世話な話で申し訳ないのですが、
葬儀を待つ間もご遺体の保管に一日2万円ほどのお金がかかるといい、
火葬場の都合で葬儀の日程が決められるようです。
聞くところによると
札幌でも事情は同じだといいます。
これから「多死社会」を迎えます。
多死の主役は団塊世代。
団塊世代は私たちの先輩たちにあたりますが、
若い頃は競争社会で学校や会社で一番を競い合ったようです。
この団塊世代は、死んでからも火葬場の一番乗り競争に巻き込まれてしまうなんて、
つくづく競争社会の申し子なんだと思ってしまいます。
そのあとに続く私たちも多死社会の一員であることに変わりありません。
にわかに死後の自分が心配になってしまいます💦
ところで
妻は幼い頃、おばあちゃんに育てられたので大のおばあちゃん娘。
そのおばあちゃんは、晩年、孫の妻に口ぐせのように”雪の深い冬には死にたくない”
と言ってました。
冬は寒いことはもちろん、大雪や吹雪で交通機関も乱れるしで、
参列する方々に迷惑がかかるといいます。
妻は、その時は「ホントにそうだね」と相槌を打ったものです。
しかし
この歳になると、私たちにとっても他人ごとではありません。
「逝く時期」を選べるなら、真夏の暑いときと真冬の寒いときは避けたいし、
その上で、火葬場の空いてる日を選びたい?などと変な願望を抱いてしまいます💦
これから寿命年齢を迎える私たちは、
亡くなる季節を選ぶこともさることながら、火葬場の空き状況など
気を遣うことが多くなりそうです。
まあ、葬儀をするのは、遺された人ですから、
亡くなった者には関係ないこと?ですけどね・・・(^^;)