夫のマシュウです。
ついこの間、新年を迎えたと思ったらあっという間に3月も終わり・・・
私は卓上カレンダーに毎日、その日の日付欄に斜線を入れ
一日が過ぎていったのを印しています。
そして、三月(みつき)が過ぎて・・・新しい月のカレンダーをめくります。
年寄りの域に入ると、未来が残り少なくなってくるのに滅入ってきて
その「残り少ない未来」に向けて、時の過ぎていくのが早く感じるこの頃。
妻は?
冷蔵庫の横にかけてあるカレンダーに今月の予定を書き込んでいます。
その日に起きた出来事などもメモしているのでちょっとした日記代わりにもなるし、
結婚以来何冊もたまっているカレンダーを捨てるに捨てられない・・・
「わが家の歴史」の記録になっています。
カレンダーを見ている妻がつぶやきました。
「パパ、4月で73歳か~。大学時代に私と知り合って50年過ぎたんだね~」
ホントに早いものです(^^ゞ
自分の年齢を考える時
両親が73歳のときはどうだったんだろう?とふと思い浮かべるときがあります。
親の世代とは違って、いまどきの人は同じ年齢でも若くなっているとは思うけど、
父親が73歳のときは・・・私は45歳でした。
45歳の自分から見て73歳の父親は、けっして若々しくはなかったような・・・
車の運転が趣味で、私たちが帰省すると最寄りの駅まで車で送り迎えしてくれましたっけ。
当時は息子が17歳くらいでしたから、ほぼほぼ、今の息子が私を見ている感じでしょうか。
その当時から21年が経って・・・数え94歳で亡くなった父親。
自分が父親の亡くなった年齢まで生きるとしてあと20年くらいか・・・
自分の寿命はそんなにもつんだろうか?
健康に自信が持てなくなる年頃です。
ところで
父親が生きていれば100歳になっていますが、生きていればどうなってたんだろうか?
私たち夫婦はちゃんと世話できただろうか?
特養で母親と共に暮らしていた父親は、体調を崩して病院に入院中亡くなりました。
なので、私たちがほとんど苦労せずに済んだことに感謝?などと思ってしまうんですが・・・不謹慎でしょうかね?
最期は老衰でしたから、父親としては人生のいい潮時だったんだろうか?とも・・・
自分も「いい潮時で逝くことができるだろうか?」などと思ってしまいます。
妻がつぶやきます
「義母さんは3月で95歳になったんだよ」
母親は田舎町の特養で暮らしています。
何度も死線をさまよいながら、いつも奇跡?の復活を遂げ、
終の棲家の特養で、看取り介護で最期を迎えることにしていただくことになっています。
目下のところ、ベッドで寝たきりではありますが、元気な様子!
母親の潮時はいつ?
子供としての私の最後の役目は「母親を送ること」と「田舎の実家を処分」することです。
ですが、昨年、札幌に住んでいた弟が母親よりも先に亡くなってしまい
すべての「後始末は私の責任」で行われることになりました。
弟は父親に似たのか、若い頃からお酒が好きで肝臓を壊してしまい
最期は肝硬変が悪化したことが死因でした。68歳でした。
決して、弟は人生の潮時だったとは思えないのです。
早いうちに療養していれば少しは長生きできただろうにと残念に思います。
親や弟の人生の終焉を目にすると
自分の人生の潮時はいつ?と感じるようになってきました。
他人の世話にならずに人生を全うしたいのだができるだろうかと・・・
特養で暮らす母親は自分の人生の潮時を考えているのかもしれないけど、
伝える相手は遠く離れています。
その母親にまもなく会いに行きます。
果たしてどんな表情で迎えてくれるでしょうか。
