夫のマシュウです。
離れて暮らす両親が年老いて、行く末が案じられるようになってからも、
電話で元気な声を確認するたびに、まだまだ大丈夫!と思い、
こうして何年も、「その日」が来ないことを念じつつ・・・
いつしか自分も年を重ね、定年を迎える年齢になってしまいました。
これじゃあ、「老々介護になっちゃうねぇ」などと軽口をたたいている私たち夫婦・・・
あまり切迫した、そこに迫る「危機」に気づいていませんでした。
考えるきっかけ
ところが、私が退職するのに合わせたかのように、両親が相次いで入院する事態に・・・
すぐに頭に浮かんだのは、「死」という文字でした。
親が死んだらどうする?
宗教はなんだたっけ? 仏教? 神道?
遠くの親戚には知らせるべきか?
葬儀の会場はどこで行うの?町内会館?
葬儀社は地元の会社?
町内会に知らせる?町内会長って誰だっけ?
・・・などなど、頭をよぎります。
私たち夫婦、実は、親の葬儀に関しては、ほとんど話し合いをしてきませんでした。
特に父親が嫌がったため、まるで「タブー」のように、その話を避けていたのです。
両親が入院したことで、夫婦で実家に帰省した時、
両親がこれから不在になることを知らせに、町内会役員のAさん宅に、妻が伺いました。
私は実家にいて留守番していたのですが、なかなか妻が帰ってきません。
何やってるんだ・・・
夕ご飯前だったので、イライラしながら、そう思っている矢先、帰ってきました。
妻「あなた、いい情報、教えてもらったよ!」
情報とは・・・
Aさん宅で、数年前に義理の母親の不幸があって、「町内会館」で葬儀を行ったということなのです。
そのため、町内会のしきたり?で婦人会や班の方など多くのお手伝いが必要となり、
亡くなった親の悲しみに浸るより、手伝いの方に迷惑をかける申し訳なさから
ず~っと頭を下げっぱなしで疲れ果てた「苦労話」を聞いてきたようです。
妻が「両親は地元の町内会館で葬儀をすることを望んでいる」と話したところ、
Aさんは、難色を示され
「高齢者が大半を占めるこの町内会で、何人の人が葬儀のお手伝いに行けると思っているの?」
「今は、ほとんどの人が葬儀会社にお願いしているよ」
「築30年以上経つ町内会館がどんな状況か見てきたらいいよ」
「とても宿泊できる環境ではないし」
「冷房がないので、もし真夏だとしたら大変!」
「水まわりやトイレなどの利用環境が良くなく、参列者や、お手伝いの人が迷惑するのでは?」などでした。
これはAさんが、実際に経験した「大変さ」から、町内の人の手を借りる
町内会館での葬儀は避けた方がいいのでは?と、妻に言ってくれたそうです。
Aさんは義理のお母さんの葬儀後、「葬儀社の互助会」に入り、
もしもの時の事は、葬儀社にお任せしたので、町内の方々にも迷惑をかけずに済むから
安心したよ!と話してくれたそうです。
「町内会館での葬儀の件、よく考えてみますね!いろいろ教えて下さりありがとうございます」と、Aさん宅を後にした妻です。
両親の希望をかなえてあげたいとは思いますが、現実はちょっと無理?のような気がします。
ずっと離れて住んでいて、両親の住む町内の事情などをよく知らない私たちに、
Aさんは自身の経験から「最良の道しるべ」を示してくれたのではないかと思います。
葬儀社との契約
帰札後、早速、葬儀社の方に連絡して相談にのっていただきました。
当初、夫婦の間では、両親の年齢も年齢なのでどこにも知らせず密葬にしようかとの相談もしていましたが、田舎の風習を尊重しなければならないということで、皆さんに広くお知らせすることにしました。
また、両親が住む小さな田舎町は、葬儀社の式場はありません。
ちょっと遠くになりますが隣町での葬儀となります。
会葬者の移動手段の問題もあります。
僧侶さん、または宮司さんの手配の問題もあります。
もちろん、葬儀の規模についても・・・
それらの疑問について、懇切丁寧な説明をいただきました。
結局、「その日」に備えて、「葬儀互助会」に入ることにしました。
料金体系が明確なこと、会葬者の送迎から食事、宿泊などいろんな手配をお任せできることで、私たちの負担が軽減されるということに納得しました。
突然やってくるかもしれない「その日」に慌てないための備えはできたと思います。
そんなときに、母親がなんとV字回復!!(先日、妻アンが記事にしています)
母「ここ(病院)でこんなことしてられない。家に帰って、押し入れの片づけをしなくちゃ。」というではありませんか!
最近では、ベッドを出て車いすに乗り、ナースステーションで看護師と会話できるまでになりました。
実は、母のいない間に、家の食品などの片づけをしてしまいました。
だけど、押し入れの片づけは残っているので、母にはもっと生きる力を振り絞って、
家に帰ってやり残したことをやってほしい。
そのときには、自分も手伝いたいから、まだまだ、「その日」がこないことを祈っています☆