夫のマシュウです。
私の田舎にある特別養護老人ホーム(特養)で暮らす母親の容態が気がかりです。
特養の看護師からの電話では、病院からは1週間で退院したものの、
自室に戻ってから「食事を受け付けない」といいます💦
看護師からは母親の「看取り」の相談をされていますので、
そろそろ覚悟が必要なのかもしれません💦
その時のために・・・
準備しておくことのひとつに「母親のプロフィール」があります。
その大もとの資料は、
母親が元気なとき、自分にもしものときが訪れたときに備えて、
本人がメモ書きしていたものがあるはずなのですが・・・
あれーーーー?
どこを探せど見つかりません💦
もしかしてなくしてしまったか?💦
四年前、父親の葬儀が終わってから、いつか来るであろう母親のその時にむけて
「略歴の書かれた便せん」を私も見ていたはずなのに・・・
いつの間にか忘れてどこかに紛れてしまったのかもしれません。
それは、マンションに引っ越してきた今ではなく、旧宅時代の話のような?
じゃあ、いつ?どこに埋もれているか?
はたまた引っ越しのどさくさで捨ててしまったのか?
探して見つからないなら・・・
ここは、一から作らなければなりません💦
父親のときの書式をベースに書くことにします。
「何年何月に、どこで生まれた?」
生年月日や住所はすぐわかります。
「父親は誰で、母親は誰?何女で生まれたっけ?」
あれ?親の名前?兄弟は何人だったっけ?
男は確か4人?女も4人だったっけ?末妹だったはず?
ああ「母親の生い立ち」のことは何一つわかってなかったことに気が付きます💦
その後・・・
母親の「戸籍謄本」で調べようと、母親の住民登録のある田舎の役場に郵送で申し込みます。
翌日、折り返し、役場の職員さんから電話が入りました。
職員「母親の本籍地はわかりますか?」
私「わからないので現住所を書いたんですが・・・」
職員「母親の本籍地を知りたいのですね・・・」
「それであれば、申請者ご自身の戸籍謄本を取ってはいかがですか?」
「そこに生まれたときの本籍地と戸籍筆頭者が書かれていると思うのですが、
そこからわかるかもしれません」
「戸籍謄本に書かれている住所を電話で教えていただいて構いませんから」
私「わかりました。私の戸籍謄本をとってみます」
このようなやりとりで、どうにか母親の戸籍謄本を取り寄せることができました。
学歴といっても、尋常高等?小学校卒だと言ってた記憶があるのですが、
その後の履歴はというと?
記憶にあるのは・・・
私たち兄弟が幼い頃、建設会社で男の人にまじって仕事をしてました。
地元の水産会社で勤めてたこともあります。
なので、家計をやり繰りするために苦労はしていたようです💦
私の妻に、夫(私の父親)が働いたお金をお酒につぎ込むので質屋に通っていたという
「苦労話」もしていたようです(息子の私には話してくれませんでしたが・・・)
日々の生活や私たち兄弟を養うのに苦労したことは確かなようです。
遠い思い出の中の母親は?
「本好き」の私が小学校の図書室にこもって、
たくさんの小説などを読ませてくれたお礼にと、
小学校卒業のときに「百科事典を寄贈」したことも覚えています(^^)/
私が中学校に入って、ブラスバンド部に入って、
初めてクラシック音楽のLPレコードというものを買ってもらいました。
でもプレーヤーがありません💦
そんなとき親戚に頭を下げ、電蓄を借りて二人でリヤカーに積んで
家に運んだことを覚えています(^^)/
子供がやることを「応援」してくれてたことを、あらためて思い出します。
ああ、そんな思い出をさかのぼるより、
ここ数年の生活の様子を伝えた方がイイかな(笑)
父親がリタイアした後の健在なときの暮らしをどのように楽しんでいたんだろう?
両親は、いつもドライブして買い物してたことかな?
趣味は何だったっけ?
編み物?
しばし、回想にふけることにします(^^;)
母親の生きてきた証
今回、あらためて思い出しながら記録としてしたためることで、
母親の「子供を思う気持ちの深さ」に気が付いた次第です。
この機会に、私が70年間の人生を、
母親のおかげでここまでこれたことに「感謝する時間」が持てたことは望外のことです。
ただ、母親のもしもの場合のときの「プロフィールの紹介」は、
会葬者の前では、はしょっての紹介になりますので、
自分の気持ちの中に大切にしまっておこうと思います(^^)/