夫のマシュウです。
関東に移住して初めての夏を迎えました。
思い返せば、5年前の今頃の札幌も暑い夏でした。
そんな中で・・・
妻の父親(私の義父)が逝ってから「早5回目の命日」を迎えました。
義父は、田舎の実家で認知症を患ってからは、
札幌のわが家近くのグループホームに移り住んで生活していたので、
義父が晩年になって最期の日を迎えようとするその日まで、
妻はよく面会に行って話し相手になっていました。
最後の夏を迎えて
持参するのは、決まって義父の好物の「チョコレート」
その頃は身体も相当だるい状態でしたが、
ベッドに横になって妻から手渡される小片のチョコレートを口にほおばっては
「うめっちゃー、うめっちゃー」を繰り返していた姿を思い出します。
妻が「どこの方言?」と聞いても
「うん」と言ったきり、遠くを見るような表情で多くを語りませんでした。
おそらく、妻の産みの母親の故郷(東北地方)の言葉なんでしょう。
妻「今ごろになって、思い出したんだろうか」
(義父は妻が幼い頃に離婚しています)
元気な頃は
ひと言も語ろうとしなかった妻の産みの母親のことを、いまわの際になって
そんな方言で思い出していたのでしょうか。
それから間もなく、帰らぬ人になってしまい、
暑い夏の日に私たち家族だけで送り出しました。
そんな義父の思い出をチョコレートとともによく思い返している我ら。
そして
新天地で5回目の命日を迎えました。
妻「今日はお父さんの命日だからチョコレート買ってきて供えてあげよう!」
ですが、この日は今シーズン一番ともいわれる酷暑!💦
外に出て買い物に行くことも覚悟がいりそう!💦
スーパーから帰って、はたと気が付きます。
妻「あれ?チョコレート買うのすっかり忘れてた!」あっちゃーーーー!💦
せっかく好物を供えようと思ったけど、ま、、仕方ないね!アハハ!と、
あっさりしてる妻アン。
暑さでアタマをやられてしまったのでしょうか(笑)
いえ、単純な買い忘れですね!
私「今日でなくてもいつでも供えられるからいいんじゃない」
わが家では
両家の父親はじめ親族が亡くなったら遺影写真を並べて、
毎朝、妻が水をあげておりんを鳴らして、手を合わせています。
(無宗教なんですけどおりんを鳴らすと気持ちが入るようです)
そして「パパ~今日も霊界とコンタクトとったよと~~~」言いながら、
妻「おじいちゃんに、今日も特養にいるおばあちゃんのこと見守ってくださいと頼んでおいたからね」
「おじいちゃんは、だけどな~そんなこと頼まれてもな~って言ってるんじゃないかい?」
などと笑いながら、
私の父親が元気だった頃のことを思い出しては、笑いのネタにしているんですよ(笑)
この日は
義父の遺影の前にチョコレートをお供えすることができなかったけど、
妻「いつも手を合わせているから毎日が命日みたいなものだよね!」
そう!
わが家では故人の元気だった頃の姿を思い出す日が命日で、
そのときのエピソードを語り合うことが供養だと思ってます!
妻「そういえばパパは遺影に手を合わせたことがないよねー」
私「オレは、心のなかでいつも思い出してるんだよ!」
え? ほんとかい?
チョコレートを買って供えることを忘れてしまったものの、
私はビールの栓を開けて命日の供養をすることにしようかな?
私「そうか!だったら今日は元気だった頃の両方のオヤジを偲んで一杯やろうかな?」
と提案するのですが、
妻「調子に乗るんでないよ!もう!」ヽ(`Д´)ノプンプン
私は、毎日が命日の供養してもいいんですが・・・ね!
義父が旅立って5年。
時が経つにつれて妻アンの悲しみが少しずつ消えて行って、
楽しい思い出だけしか残っていないのも確か・・・
それが、本当に思い出さなくなるのは、命日も忘れた頃でしょうか・・・(^^)/