父親危篤の連絡が入った!

夫のマシュウです。

ある日の夕方、家電の呼び出し音が鳴りました。

妻が受話器を取ったのですが、ディスプレイには父親の入院している病院の電話番号が💦

もしや?

妻は電話の相手を確認するや、私に受話器を渡します。

電話口の看護師の声が幾分緊張しているようです。

「〇〇さんの体温が39度6分あり、今夜あたり危ないのですが、

夜中に電話してもいいですか?」

私「もちろんかまいません。危ないのですか?」

「昨日はお母さんが面会に来て1時間ほど二人で過ごしていたのです。

その時は何ともなかったのですが、今日になって体温が上がり始め、

これだけ体温が高いと・・・」

私「わかりました。覚悟はしています」

夕飯時でしたが、そんなことも忘れて妻と「やるべきこと」の確認を始めました。

弟への連絡

まずは、弟に知らせます!

私「今夜中に亡くなると、準備もあるから通夜祭は月曜日、葬場祭は火曜日にすることでどうだ?仕事の都合はつくか?」

弟「仕事の方はどうにでもなるから、日程は任せるよ!」

私「問題は母親が参列したいっていうんじゃないかな?寝たきりならあきらめもつくだろうけど、車イスで動けるから大丈夫かな?」

私「特養に確認してからもう一度連絡するから!」

弟「オレがレンタカー借りて迎えに行くことはできるよ。そのときは言って!」

私「頼むな!」

葬儀社への確認

葬儀社とは事前に葬儀の形式や規模を伝えて見積もりを取っていました。

遺体の引き取りから安置までのことを確認!

その日が近いことを伝え、会場の空き状況を聞くと、現在は空いているが

早いもの順だという返事(-_-;)

神道式で執り行うことにしているので、斎主となる神主の手配を相談!

合わせて「御礼」の相場の情報も聞き出します。

聞いてビックリ!!!

仏式とそんなに変わりがないじゃありませんか!(母親は神道は安いと言っていたのに)(笑)

ともあれ、心構えだけはできました(^^)/

特養への確認

母親は、父親が入院してからというもの、数日おきに特養の送迎車で面会に通っています。

病室で横たわる父親に声をかけ回復を祈っていたようです。

恐らく、母親も葬儀に参列して、夫を送ってやりたいという気持ちは強いものと思われます💦

私「父親が、もしもの場合に母親は葬儀のために外泊することはできますか?」

職員「おばあちゃんは、車いすですが、手すりに摑まると立ち上がることができますし、

トイレも介助するだけで自分でできますよ!」

「家族の方が送迎してくれれば外泊もできますから!」

私「わかりました。そのときは弟に迎えに行かせますからよろしく!」(^^)/

準備万端?

「その時」が来たときに備えて、連絡漏れ、確認漏れが起きないように段取りを書いた

チェックリストも作り上げました。

斎主が読み上げる「父親の略歴」も一度作ってはいましたが、

最近の病状を加え、手を入れました。

父親が、いつの間にか書き溜めていた自分の生まれてから今日に至るまでの略歴を

改めて見ると、私たちに話してくれなかった若かりし頃の姿に思いを馳せつつ、

94年に及ばんとする「人生の重み」を感じない訳にはいきません😢

こうして事前の準備はしてきたつもりですが、その時はどうなるのでしょうか💦

さあ、準備と心構えが済みました!

最初に連絡があってから、3日が経過・・・

ここまできたら早く連絡が欲しい?と思ってしまう自分に気が付きました。

親不幸な息子ですかね💦

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コメント

  1. AKIO KATO より:

    マシュウさん、アンさん
    お父様の様態が心配ですね。
    ご高齢ですからいつ、その時が来るのか気がきでは無いと推測します。でも、お父様は既に覚悟が出来ていて幸せな気持ちで
    いらっしゃると思います。日頃の感謝の気持ちは間違いなくお父様に伝わっていると
    思います。親子なんですから。
    AkIO

    • ともに白髪の生えるまで より:

      AKIOさん、コメントありがとうございます。マシュウです。
      温かいお言葉が身に沁みます。
      危篤の一報後、親戚とか知人が面会に訪れてくれているようですので、
      父親もおちおち眠りに付けないんじゃないでしょうか(笑)
      AKIOさん、こんばんは。アンです(*^-^*)
      連絡のあった晩、やはり眠れませんでした。
      先週、これがおそらく生きている義父に会うのは最後・・・
      そう覚悟して帰省してきました。
      話すことも出来なくなり、手足のむくみも酷く、前回、会った時とは別人。
      思わず、7月に他界した私の父親の姿と重なりました
      でも、何とか少しでも笑わせたくて、私、がんばりました(笑)
      ほんの少しですけど、微笑んでくれたんですよ!!!
      その表情を、しっかり目に焼き付けて、病室を出ました
      私の中では、義父とのお別れが出来て良かったと思っています。
      重篤な状況の中、ここへきて東北人の粘り強さを見せてくれています。
      AKIOさん、お心遣いをありがとうございました。