夫のマシュウです。
今日は「令和元年」5月1日ですね。
元号またぎ
西暦では、いつもと同じ時間経過のなかで、新しい1日が刻まれただけですが、
日本だけといわれる元号の「改元」というのは、何か自分の中でも変わったような?
リセットされたような?改まった感じがするのはなぜでしょうか?(^^)/
メディアにあおられて、その気分になっているだけなのでしょうか?
確かに「元号またぎ」のカウントダウンイベントなどが行われ、
昨日までは「平成最後」で盛り上がっていましたが、今日からは「令和初」!
これから1年間は、必ず「令和初」ですから
メディアでも盛んに使われるフレーズになることでしょう。
今日も、テレビ番組は見事に「令和スタート」「新天皇の即位」関連ばかりですね。
生活面でも、まずは、手始めとして?
「婚姻届け」が、今日5月1日に殺到しそうだと報道!
これから、各方面で「令和商戦たけなわ?」になるのでしょうかね。
平成が終わり・・・
ところで、振り返ると、
「平成」が始まったときは、「自粛ムード」が全国を覆っていました。
いま改めて、平成最初の日を思い出してみると、
「平成」オジサンと呼ばれるようになった、
小渕恵三さんの掲げる新元号「平成」を目にして、
なんかピンとこず、「昭和」に比べ、重みに欠ける印象を持ちました。
年明け早々、会社の書類の元号を書き改めながら、
文字通り「粛々」と仕事をこなしていたように思い出します。
世の中が、昭和天皇の逝去を悼む「自粛ムード」で、
新元号商戦など、不謹慎のそしりを免れない風潮の中での新時代の始まり!
何か、閉塞感のような息苦しさを感じたものですが、あれから30年!
振り返ると、私の中での「平成」は災害の多い時代だったという記憶として残るでしょう。
「平成天皇」は、先の大戦の犠牲者の慰霊はもちろんのこと、
災害犠牲者の慰問・慰霊の祈りをささげられた印象を強く持っています。
いつも「国民の安寧と幸せ」を祈っておられましたね。
先日、伊勢神宮を参られた折には、沿道の方々が涙して
歓迎されていた様子を見て、私たちも、平成天皇への思いを共有した面持ちで
テレビ画面を観ていました。
その「平成」が終わりました・・・
令和の始まり!
「令和」が発表されたときは、ちょっと、はしゃぎ過ぎと思うぐらいな
メディアの報道でした。
やれ、GWの10連休をどう過ごそうかとか、
「令和」関連の消費が増えるのを期待するとか、
改元ビジネスで、お祝いなのか?便乗なのか?は別として、
私たちの実生活においての「目に見える変化」を、はしゃぐ?のもわかりますが、
一方で、今ほど「皇室」について考えたことはないんじゃないでしょうか。
この機会に、単に、元号が変わる日ということではなく、
改元によって、
「新天皇」が、皇室神道に則って「国と国民の安寧を祈られる祭祀を最初に司られる日」
としての「5月1日」ということを、心のどこかに持っていたいものです(^^)/
新しい時代を迎える
そもそも、改元の意味するところは「古代中国」において、
ときの「為政者」が、時間の流れさえも、自分が支配しているという「権力」を示すために
使われてきたそうですね。
今は、もちろんそういうことじゃなく、私たちにとっては「自分が暮らしてきた時代」を
「ひとつの区切り」として「リセット」するという意味を持っていると思います。
日本人には「水に流す」という言葉がありますが、
「リセット」も「過去を水に流す」という「意味合い」があるように思います(^^)
西暦にはない「時代のリセット」という「気持ちの切り替え」は、日本独特の文化!
「災害」の多かった「平成」時代ですが、唯一、戦争がなかった時代です。
その「平成」を誇りに思いつつ、
決して水に流すことなく「戦争のない平和」を「継承」して
「希望のある、明るい、令和の時代」になるよう期待したいものです(^^)