夫のマシュウです。
義父の死から早いもので2カ月あまりが過ぎました。
妻は、葬儀後、親戚の弔問の対応に追われたり、
初盆には、田舎町にある一族のお墓の掃除、お参りに行ったりと慌ただしい日々でした。
時折、亡くなる直前の痩せた父親の顏を思い出して泣いていることもありました。
妻の気持ちの変化
それでも、月命日を2回迎える頃には、
生活リズムも以前と同じようなパターンを取り戻しました。
ただ一つ、妻の毎日のルーティンが増えました!
毎朝、父親の祭壇の前で行う勤行?でしょうか(^^)
おりんを鳴らしては、家族の見守りを祈願しているようです。
そんな生活の中で、私が義父の思い出話をしても、
涙を浮かべることは徐々に少なくなっていきました(´▽`) ホッ
先日のことです。
妻「私、すっかりお父さんに水をあげるの忘れて、先に自分が朝ごはんを食べちゃったよ💦」
と、あわてて、水を供えていました(笑)
妻「こうして少しづつ忘れていくんだね」と・・・(^^)/
そしてまたある日のこと。
炊き立てのご飯を食べた後に、
妻「葬儀社の方から、ご飯を炊いた時には、ご飯をあげてくださいと言われてたけど、
今朝、炊いたのにあげるの忘れてたわ!」💦
そそっかしい?のでしょうかね(笑) いや、おっちょこちょい?(笑)
義父もあの世で娘の事を笑ってみていることでしょう。
しばらくして、静かに新聞を読んでいた妻が、
クラシックのCDをかけているではありませんか。二階の私の部屋にも聴こえてきます。
それまでは気持ちに余裕がなかったのか、自分からCDをかけることも
忘れたかのようでしたから少し驚きましたが、こうして徐々に「日常」を取り戻していくものなのですね。
外に出ることも・・・
徐々に活動的になっていきます。
妻「久しぶりに体操教室に復帰するかな」
今までは体操する気になれないと言ってお休みしていたのです。
いよいよ復帰!(笑)
体操教室から帰って、仲間のおばさんたちに「最近来なかったけど、どうしたの?」と
尋ねられても、父親が亡くなった事を泣かないで普通に言えるようになったと言います(^^)/
先日も、新聞チラシを見ていて、
妻「気分転換に定山渓温泉に行きたい!」という発案で、小旅行にも出かけましたし、
最近では、以前、映画を観て感動したクイーンのCDも聴くようになりました♪
「時」が癒す?
最愛の肉親を失ったことのあまりの悲しさに沈んでいた妻の気持ちに変化が訪れたようです。
「時間」が癒したのかもしれません。
時間の経過は、立ち直るためのプロセスなのでしょうか。
悲しみを忘れ、故人が「生きていた証」を「思い出」として残していければよいでしょうね。
「月命日」というけじめも、そういう意味があるのかもしれません。
間もなく、今月の月命日がやってきます。
この日は、ささやかながらも「ごちそうを食べて一応?父を偲ぶ会」と妻が勝手に命名(笑)
え?
一応?じゃなく、
笑って、故人の数々のエピソードを思い出しながら過ごしたいものです。
お義父さん・・・あなたの娘さんはすっかり元気印に戻りましたよ(笑)
安心して下さいね!