私の生い立ち(4)いつもひとりぼっちだった・・・

おはようございます。妻のアンです(*^-^*)

私の前では四六時中、目が吊り上がって「鬼の形相」をしていた継母でしたが、

(おかあさん、ひどい言い方ごめんね)

毎日、見ていると慣れてくるものですね(笑)

徐々に私なりの「対処法」?が身につき、

静かに「本」を読んでいることが多くなっていました。

ある晩、父親が私に月刊誌「小学〇年生」と「伝記本2冊」を買って来ました。

すると継母が

「なぜ、お姉ちゃんの分しか買って来ないんだ!〇〇子の分がないじゃないか」と

すごいけんまく!

驚いた父親は

「○○子はまだ赤ん坊だから、わかるようになったら買って来るよ」

しかし、継母はよほど面白くなかったのでしょうね。

数日後、学校から帰ると「小学〇年生」の付録が私の机の上から消えていました。

捨てられました⤵

これ以降、読みたい本は学校の図書室から借りて来るようになり、

父親には、もう買わなくていいよと言っておきました。

ウフフ♪ これで「本」の事で揉め事はないはず!??

両親のケンカの「原因」はいつも「私」にありました(涙)

ささいなことで、すぐに逆上する継母に、父親も声を荒げます。

「もうやめてーーー!」と心の中で何度、叫んだことでしょう。

今、思うと、本当にくだらない、どうでもいいようなことで、ケンカが始まっていましたね⤵

いっそのこと、私がいなくなればこの家は上手くいくんじゃないか?

そうだ!! どこかの施設に入れてもらえないだろうか?

そんなことまで考えました。

父親は、継母に「遠慮」して?実の子の私に話しかけることは、ほとんどありませんでした⤵

たまに、二人で話していると、継母がヒステリックになるので、

父親との「親子の会話」など、持ちたくても持てないのが現状!(涙)

そして、

父親が赤ん坊の妹を抱っこして、継母と3人、楽しそうにしているのを目の当たりにすると

言葉では言い尽くせない「さびしさ」「ひとりぼっち」を感じていました⤵

同じ屋根の下で暮らしていながら、父親と距離を置かなければいけないという

不条理な生活は、小さな子供にとっては本当に辛いことでした(涙)

その後も、父親と距離を置く生活は長く続きました。

相変わらず、継母に遠慮がちな父親です。

それでも、私の結婚後は年に数回、我が家へ遊びに来てくれましたので、

継母の目を気にせず、父親と思いっきり話が出来るって、本当に嬉しいことでした(笑)

そうそう、リュックサックいっぱいにお土産を背負って来るんですよ(笑)

正直、父親の事を「なんて不甲斐ない親だ」と思っていた(恨んでいた)時期もありました⤵

しかし、たとえどんなことがあろうと、たった一人の父親です。

子供の頃はろくに話すことも出来ず、さびしく思っていましたが、

絶対に「心は通じている」と信じていた自分です。

だって、血のつながった親子ですから・・・(涙)

もっともっと、父親といろんな話が出来るかなと思っていたら、

人生、そう上手くいかないものですね⤵

父親はまさかの「認知症」を発症

継母とは家庭内別居が長く、赤の他人状態です。

父親は家に居ることができなくなりました。

看てくれる人がいませんから、仕方ありません。

わが家で引き取ることになりました。

「私たちはお父さんの生き死に・・・には、まったく関係ないからね」

と継母から「引導」を渡されていましたから、私も覚悟は出来ていました。

幸いなことに「夫の理解と協力」を得て、

父親は私の家からほど近い施設で7年間、何とか平穏な生活を送ることが出来ました。

鉄人28号なら嬉しいけれど、父親は認知症のため「別人28号」になってしまって

本当に悔しくて残念!⤵

私を「産んでくれた母親」がどんな人だったのか、ちゃんと聞いておきたかったのに・・・

(5)に続きます

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コメント

  1. トミー より:

    いつも楽しく読ませていただいてます。まるで<渡鬼>のようなホームドラマを見ているようです。このブログに出会うのが遅かったので下の関連記事もついつい読んでいます。
    今日この私の生い立ち いつも一人ぼっちだったを読んで涙せずにはいられませんでした。あんなに明るいアンさんにそんな悲しい過去があったなんて信じられません。そして誰よりも誰に対しても優しいアンさん、その優しさと強さと明るさはマシュウさんの大きな愛に包まれたからでしょうか。素敵なご夫婦だなと感じていました。我が身を振り返り我儘言わんようにしようと反省もしています。

    • ともに白髪の生えるまで より:

      トミーさん、コメントありがとうございます。マシュウです。
      夫婦で当ブログを始めて今年で5年目を迎えます。
      日々の出来事を綴りながら、これまでの人生を振り返るなどして書き溜めてきました。
      長い人生、平平凡凡でもこれまでもいろんなことがありましたし、
      これからも暮らしの一端を綴っていきたいと思いますので
      飽きずに読んでくだされば幸いです(^^)/
      トミーさん、こんにちは。アンです(*^-^*)
      いつも読んでいただきありがとうございます。
      両親の離婚は、得てして、
      子供の人生を大きく狂わせることになると実感します。
      継母とはそりが合いませんでしたね~。
      初対面の時から「わ!怖そう!」と思いましたよ(笑)
      事実その通りでした。
      人間って、こんなにも人間をいじめることが出来る生き物なのか・・・
      これは私が継母から学んだことの一つですね。
      どんなヒドイことをされても父親には決して言いませんでしたし友だちにもね。
      思い返すと、ホントによく生きていたものです。
      何度もコロされそうな危機、乗り越えましたよ!(*´σー`)エヘヘ
      夫と初めて出会った時「あ、私、この人と結婚する」とビビビっときましたっけ。
      私のすべてを受け入れてくれたことに感謝しています。
      と、言いつつ夫を、イジメちゃったりしてるワルイ自分であります(*´σー`)エヘヘ
      トミーさん、私ね、残念なことに「生みの親」の顏を全く思い出せないんですよ。
      生き別れになったショックが私の記憶から母親の姿かたちを消してしまいました。
      うぅぅん、もし願いが叶うなら頭に浮かんでくれるといいな~(笑)

  2. トミー より:

    アンさん 鏡をのぞいてご覧!ずっと見てて!、、、、、、、、、、、

    ほら 鏡に映るその人がアンさんのお母様よ。
    アンさんに似ている可愛くて綺麗な人だったみたいね。

    • ともに白髪の生えるまで より:

      トミーさん、ありがとうございます。
      生母の写真は私の手元にたった2枚・・・
      父が再婚する時に処分してしまったのでそれしかないのですが
      やっぱり親子ですね!とっても似てるんですよ。
      それが唯一の救いでしょうかね(^^)/
      人間って、受け止めきれないほどの衝撃を受けると、
      それを忘れようとして記憶がなくなるらしいんです。
      それが私の症状なんですよね。
      時々ね、ものすごく悲しくなる時がありますが、そんな時はぽろぽろ泣いちゃうの。
      ガス抜きなのかな~?
      こうして何とかバランスが保たれてるというか・・・
      そして、泣いてもしょうがないことだし・・・と気持ちを整理して、おしまい(笑)
      トミーさん、取り留めのないことばかりお話してしまいました。
      ごめんなさいね(*´σー`)エヘヘ