認知症の父と私・・・6年前を振り返る

妻のアンです。

私の父は88才・・・

若い頃から「山」と「スキー」を、こよなく愛する人でした。

定年退職後は、地域のスポーツサークルに入るなど、積極的に活動し

第二の人生をエンジョイしていました。

しかし6年前の夏、「認知症」を発症して自宅生活が困難となりました。

異変のきざし

私が「父の様子がおかしい」と知ったのは、

20年来、通院していた内科医院の「看護師さんからの連絡」がきっかけでした。

「受診日をよく間違える」

「診察代の支払い時におかしな言動をする」など、

今までに見られなかった「異変」があるとのことでした💦

びっくりして翌日、JRを乗り継ぎ、父のもとへ(実家)行き、ゴミ箱の中から

血圧や糖尿病の薬が、ごっそり、捨てられていたのを発見して言葉を失います。

思わず、キツイ口調で

「お父さんっ、ちゃんと薬、飲んでいるの?」と、問い詰めました。

「うん。飲んでるよ」と父は平然と答えるんです💦

冷蔵庫を覗くと「食べかけ」のアンパンが山積み!

「飲み残し」のコーラのペットボトルも数え切れないほど!

さらに「カレーの固形ルー」をそのまま食べていたり

「砂糖」を大きなスプーンで、バクバク食べるなど、

「まともな食事」をしていないことが、分かりました。

私が送った「野菜やおかず」も腐ったままです。

そして、真夏だというのに「冬物の厚い洋服」を着て、平気な顔。

「洗濯物」も全然、乾いていないのに、タンスにしまっていたり・・・(@_@)

がく然としましたね😭

病院での診断結果

その日は事前に、内科医院と連絡を取っていましたので、父を連れて行くと、

おそらく「認知症」だろうから、一日も早い方がいいと「紹介状」を持たせて下さり

その足で「脳神経外科」に直行! 受診しました。

父は、久しぶりに私と会えたことが嬉しそうで、文句ひとつ言わず、

その日の予定すべてをクリアしてくれました。

認知症?

結果は、やはり「アルツハイマー型認知症」でした。

年に3~4回、泊りがけで我が家に遊びに来ていた父ですが、

今、思うと、少し、おかしいな?ということはありました。

でも、まさか・・・です💦

そして、とにかく「早い対応」を勧められました。

地域包括センターへ

幸いなことに、病院に隣接して「地域包括センター」があり、早速、訪問!

「手続きの進め方」など「知識のない私」に「道しるべ」を示してくださったのです。

心強かったですね(^^)

まず「一番先」にやらねばならないことは何か?

★父の住む街の役所の福祉課に行き「介護認定の調査依頼」の申請をすることでした。

★その申請から1週間ほどで、調査員に父の様子を見てもらうことになります。

★それから約一か月後に「介護認定の結果」が届き、父は「要介護1」と認定されました。

認知症対応型の施設に入所するためには「要介護1」以上の条件が必須でしたので、

何とかクリアです!

札幌での施設さがし

★父の「住民票」を私の住所へ移しました。

理由は、この時、実家のある街では「施設が不足」していて

「入所待ちの人数」が半端じゃなく、札幌へ連れて来るしかありませんでした。

札幌市内の施設に入るには「市民」になることが条件だったのです。

★「施設探し」

「私の家から近い所」が希望です。

でも、そうそう簡単には見つかりませんし、なんと「順番待ち」の多いことでしょうか。

同じような境遇の方が大勢、いらっしゃることに「驚愕」したものでした。

その間にも父の病状が進んでいくので、本当に「切羽詰まった状況」でしたね。

何とか、2か所の施設に申し込みをして待ちます。

そして、まもなく、そのうちの一つ、一番、私の家から近い施設から

「入所できる」という連絡が届いたんです。

正直、地獄に仏でした😭

それは認知症と診断されてから、わずか3か月後のことです。

周りの方から「よく入れたね。よかったね。」と言われました。

これも「役所関係の方」「病院の方」、そして近所に住む「介護施設に勤務の方」など

多くの方が、手を差し伸べて下さったおかげです(^^)

現在の様子

あれから6年・・・

父の病状は、ゆっくりと「坂道を下る」感じで進んでいます。

今日も、夫マシュウと面会に行きました。

父は、食堂のテレビ前のソファーに、まるで自分の指定席のようにして座っています。

ちょっと顔を覗いて見ると、ごきげん良さそう!(前回は不機嫌)💦

小さなカップで「大好きなコーヒー」を美味しそうに飲んでいます。

「美味しいでしょう?」と尋ねると、私に早速カップを手渡す父。

ひとくち、いただきます!(笑)

(あれれ? コーヒーじゃない。 ぶどうジュースだわ)💦

けれど、父は「コーヒー」だと思っているのですから「これでよし!」なんですよね。

父と平和的に接するためには、何でも「肯定」することが大事で、

「否定」することは「ご法度」なのだということを、この6年で学びました(笑)

今日も、夫と楽しそうに「昔話」に花が咲いて「いい顔」してスマホで写真撮影!

と、思ったら・・・出た!! あの訴えが!!!

「帰りたい!退去の手続きしてくれ!」と・・・💦💦

「クリスマスの乱」が!

以前、父は「家に帰るから、汽車賃の一万円を貸してくれ」と夫に「激しく懇願」!

(娘の私に言ってもダメと言われるので、優しい夫に、ほこ先が向けられました)

「最大の事件」?は、6年前のクリスマスの日、最寄り駅の待合室で、

仕事帰りの夫を、父が何時間も待っていたことです💦

改札口に現れる夫を待ち構えて、帰る旅費を貸してもらうという父の「たくらみ」

でした。私はその日の午前中、ここを出るんだっ!という父の説得に

施設に行き、その後、体調がおかしくなりダウン!

どうしても駅に行くという父に、施設の方が、駅で何時間も一緒にいてくれたのです。

しかし、職員さんと夫に、なだめられ?何とか、その日は施設に戻った父でした。

こんな反乱?が、その後、何度も、何度も、続くのでした😭💦

更には「お前に騙されてここに入った」と私を責めます😭

「被害妄想」はすべて、私に向けられました。

そんな時の父は、目つきも恐ろしく、昔の面影などありません。 人間が変わるのです!!

当時は、何でも「まとも」に受け止めて「直球勝負」をしてしまう「大バカな娘」でした。

父は病気なのだからと、思えるような「寛容さ」もありません(今もですけれど)💦

でも、6年経った今は「変化球勝負」がちょっぴりですが?出来るようになったんです(笑)

だから、今日の「帰りたい宣言」にも、「うん。わかったよ」と冷静に答えることができました(^^);

(父は自分が「今」言ったことを忘れてしまうので、反乱?も起きなくなりました)

どうか、穏やかに過ごしてほしい・・・

私たちが帰る時、毎回、必ず、手押し車を押しながら見送りに来る父・・・

今日は真冬日で、さすがに昔、寒さに強かった「山男」もタジタジの様子です。

「お~!寒い~!寒い~!」を連発して、みんなを笑わせてくれました(^^)

そして、嬉しそうに、夫に向かって

「〇〇君、忙しいのにありがとうございます」と必ず「お礼の言葉」を言うのです。

(娘の私には、一度も言ったことがありませんが・・・笑)

「また来るからね」と言うと、

「バイバーイ」と手を振りながら父は、職員さんに付き添われて

あったかいホームの中へと入って行きました(^^)

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