夫のマシュウです。
私の田舎の特別養護老人ホーム(特養)で暮らしている母親のことです。
数年前のことですが、特養のお世話になるに際して、
母親の「看取り介護の同意書」に押印しました。
そして、今年に入って、母親が入退院を繰り返すようになってから、
ふたたび看取り介護の同意書の提出を求められました。
ついにやってきたか・・・
体力の衰えが著しく、高齢でもあり、いつなんどき逝ってもおかしくありません。
看取りというのは?
もうこれ以上治療による改善の可能性が認められないとき、
「特養が最期の場所」としての役割を果たし、安らかな最期を迎えることができるように
「終末期の介護」をするというもの。
そのための介護方針を「家族が了承する」というものです。
看取り介護に入るタイミングは?
医師によって医学的に回復の見込みがないと判断された場合です。
そして、自分の部屋で「そのとき」がくるまで安らかに過ごすための身体的、
精神的な苦痛の緩和に努めるということになります。
同意書を見て・・・
妻は、グループホームから終末期の病院へ移った父親(私の義父)を看取ったときのことを思い出したようです😭
そこではもう積極的な治療ではなく、心電図だけが取り付けられた義父のそばで
声を掛けることが精いっぱいのできることでした。
そして、私たち夫婦が最期を看取りました。
ところで・・・
先日、朝刊のお悔やみ欄を見ていて、私の実家のある小さな田舎町の住所に
見覚えのある名前を見つけました。
それは実家の隣に住んでいたお宅のご主人の名前。
私たち親子が帰省すると、夕食時に顔を出してくれて、
酒席を盛り上げてくれたりしていました。
しかし、卒中で倒れてしまい、以来、車イス生活を余儀なくされ、
奥様の献身的な介護の手を得ながら、病院での検査とリハビリ、
特養でのデイサービスなどを受けていたことを聞いていました。
容態は安定しているものと思っていたので、突然のことで驚きました。
既に葬儀終了していましたので、遅ればせながら香典を送ることにします。
在りし日のことを思い出しながら、妻アンがこれまでのご恩に感謝の言葉を添えて・・・
数日後、奥様から電話が入りました。
電話口に出た妻がこのたびのご不幸を悼み、葬儀に参列できなかったことをお詫びします。
奥様から、最期は、特養から亡くなった報を受けたとのこと。
特養は、そのお宅と目と鼻の先くらいの近いところにあります。
家族として「最期の別れをする機会がなかったこと」を悔んだといいます😢
なぜ、少しでも意識のあるうちに教えてくれなかったのかと・・・
そして、なぜ、特養に隣り合わせの病院へ運んでくれなかったのかと・・・
そのお宅も、看取り介護の同意書を交わしていたといいます。
奥様が言うには
看取り介護っていうのは「施設ではなにもしないってことだよ」
せめて、容態が変化したなら病院に移して、心電図だけでも付けてくれなかったのかと、
最期の別れの機会もなく、立ち会えなかったことが悔やまれる・・・と泣いたそうです。
しかも、
家族でご主人の身体を検分したとき、右足全体が黒く変色していたといいます。
恐らくは「じょくそう予防措置」がなされていなかったようだといいます💦
介護主任いわく
「若い介護士がやめてしまって十分な介護の手が回らない状態だった」と説明。
なので、じょくそう(とこづれ)が生じても、そのまま放置されていたのでは?と・・・
どれだけ痛かったことかと、それを訴えることもできずに逝ってしまった。
奥さまや子供さんたちが悔しい思いをしているとのことです。
はたと・・・
私の母親のことが思い浮かびます。
看取り介護の同意書を提出していますが、どうしようか?
何事か起こった場合は、ただ死を待つのはツライ。
とりあえず病院に運んでもらって、最低限の点滴などをしていただいて、
せめて私たちが駆け付けるまで延命措置をしてもらうことぐらいお願いできないか?
という気持ちも湧いてくるのですが・・・💦