決してあの日を忘れない!

夫のマシュウです。

「あの日」・・・私は札幌にある会社に勤めていて机に向かって書類を整理していました。

突然、グラグラッと大きな揺れを感じます。

室内にいたみんなもなんだ?なんだ?地震だ!と感じたんですが、

大きくゆっくりな揺れがずいぶんと長く続いたことを記憶しています。

あぁ、どこかで大きな被害が発生したのか?と不安が頭をよぎります。

すぐにテレビをつけると、すでに中継画面が映されていて震源地は三陸沖。

「3.11東日本大震災」でした。

一方、妻は・・・

札幌駅の地下街で買い物をしていました。

ゆらりゆらりと揺れたので最初はめまいかと思ったといいます。

しかし、次第に周りでざわつく声が聞こえ、地震だと!

その後、札幌は交通機関の乱れもなく、妻は無事に家に帰りました。

その後の様子は、テレビで中継された津波に襲われる被災地の様子を見て

なんて大変なことが起きたのだろうと心を痛めていました。

繰り返し放映される津波被害の映像におかしくなりそうだった・・・と振り返ります。

そのとき息子は・・・

たまたま休暇中でしたので東京のアパートにいました。

今までに経験したことがない大きな揺れを感じたようですが、

その後の東京の交通機関の乱れや停電などの混乱には巻き込まれなかったようです。

あれから14年

数日前からテレビやラジオは特別番組やニュースで3.11の震災を忘れないことを伝えています。

日本は地震列島なので、いつどこで大きな地震災害が起こってもおかしくないと

いわれています。

事実、私たち夫婦も、2018年の北海道胆振日高地震を経験!

当時住んでいた札幌市内でも大きな被害がありました。

わが家でも、本棚の本やCDが滑り落ちるなどこれまでにない怖い経験をしました。

大きな被害というほどのことはなかったのですが、

それでも、地震の影響で全道一斉に停電!

わが町内も停電してしまったのですが、幸い数時間で回復しました。

そんな短い時間の停電でも、暗闇の中ですごく不安に襲われたのを覚えています。

まして、被害に遭われた方の気持ちは如何ばかりかと心を痛めました。

これをきっかけに

わが家では「防災備品」を揃えることにしました。

電池や水を始め、非常持ち出しの物もまくら元に置くようにしました。

最近では、停電に備えてソーラー充電式のランタンも準備!

しかし

のど元過ぎれば熱さ忘れるで、そんな災害の記憶も忘れかけた頃です。

2024.1.1の能登半島地震の被害の大きさにはビックリしました。

ドライブレコーダーがいろんな現場を記録していて、

地面が布切れのように大きく揺れるさまを見せつけられると、

神様にすがるしかない、人間の力ではどうしようもない無力感を覚えます。

わが家が、このような災害にあったらどうする?

ここは防災グッズを再点検して自分の身を守るしかないという思いを新たにします。

記憶をさかのぼれば

あの1995年1月17日の阪神・淡路大震災からもう30年!

あの日も、朝起きてテレビをつけると高速道路の橋脚が軒並み倒れて

高速道路の端に転落寸前のバスの映像に衝撃を受け、

時間とともに街中に広がる火の手に恐怖も覚えました。

この地震で多くの方が亡くなったことを知るのはしばらくしてからでした。

数え上げればきりのないくらい繰り返されてきた「あの日」の恐怖と、

今に続く記憶を過去のものとしてはいけない・・・

これからの教訓にすべきと、3.11を迎えた今日、

あの日に思いを馳せながら、もう一度、わが家の防災グッズの点検もしておこうと思います。

近い将来、千年に一度といわれる大規模な南海トラフ地震も起こるであろうことが想定されています。

とても他人ごとではない、今日3.11です。

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