感傷的にさせる秋の景色

夫のマシュウです。

この頃は朝を迎えるたびに、

今季一番の最低気温を記録するようになり、新聞を取りに外に出ると、空気がピリッ!

風の冷たさが一味違う?と感じます。

もうすっかり冬の趣です。

どおりで・・・

買い物で遊歩道を歩くと、

あれほどまぶしく輝くような黄色に色づいていたイチョウ並木がすっかり裸!

何だかさびしくなってしまいました。

ついこの間まで、黄色の落ち葉が地面を埋めるほどに積もった様子もまたいいものだね

なんて言っていたのですが・・・

冷たい雨が降ったあと

落ち葉を踏みしめて歩くと、じめじめとした冷たさが足の底から伝わってくるよう。

ぬれ落ち葉というのはこのことなんでしょうか。

あれほど愛でていたのに、いまでは汚いモノ扱いしていることに気が付きます。

「いい時を過ぎるとみじめなもの」だと感じるのは、

「自分の姿」を重ねて見ているからでしょうか。

いや、私だけでなく人というのは、

いちばんいい時を過ぎてしまうと、醜さだけがみえてしまうようで、

ぬれ落ち葉というのはそんな様子をいうのかもしれません。

そういえば

「ぬれ落ち葉症候群」という言葉があったなーと思い出します。

定年退職後に行き場を失った夫が妻にべったりとくっついている様子を表している言葉だったような・・・

まさに、そんなことを想像してしまいます(^^)/

他にも、”老い恥をさらす”という言葉もあるようです。

そうならないように気を付けなければ・・・(^^)/

北海道育ちのわれらにとっては・・・

サケが母なる川に遡上して産卵すると、

役目を終えたことで”ほっちゃれ”になって死んでいく姿を見て

自分の、親としての役目が終わるということが

自分の命の終わりが近づいていることだということを知っています。

キタキツネも、子育てが終わると自ら子供のもとを去って行くといいます。

自分の命の終わりをわかっているのでしょう。

人間だけ?が、

老いてもなお子供や他人の世話になって、生きていかなければならないのでしょうか。

親子なんだから、親の面倒を見るのは当たり前のこと。

田舎で暮らす母親を思いながら、

いつか同じ道を歩む自分の姿をだぶらせて見てもいるのです。

これから、自分はどんな終わり方をするんだろうか?

散ってしまった落ち葉を眺めながら、

ひとという生き物の晩節の見苦しさを感じないわけにはいきません。

こうならないように生きていかねば・・・

落ち葉を見てこれからの人生に思いをはせるとは・・・

雨に濡れて靴にしがみついた落ち葉を払うように歩きながら、

いささか感傷的な気持ちに浸ってしまうのも、これもまた秋という季節だからなのでしょう。

北海道では大雪が降ってます。

これから雪景色で白一色の世界になってしまいます。

モノトーンの単調な世界になって気持ちが落ち込んで、冬季うつという病もあるようです。

幸い、当地では秋の色がなくなっても、冬には冬の花が咲きます。

冬になっても色があるのです。

冬季うつにはならなくてすみそうです(^^)/

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