妻のアンです。
今回は、父の施設入所までの経緯などをお話します(^^)
グループホームについて
現在、父は私の家の近くにある「認知症対応型のグループホーム」で日常生活を送っています。
生活環境
定員は「A棟・9名」「B棟・9名」の合計18名。
居室は全員「個室」で、トイレ、洗面所も、室内に設置。
ベッド、クローゼットも完備されています。
冬は「床暖」、夏は床からの「微冷房」と最高の居心地のようです。
食事も、A棟、B棟、それぞれのキッチンで作って下さるので、
出来立てを味わうことが出来ます。ありがたいことです(^^)
体調管理も万全!
「地域の総合病院」と提携していますので、
週に一度、看護師さんが「訪問看護」に来て体調チェック!
ドクターも、2週に一度「往診」!
「脳神経外科」、さらに「歯科」の往診もあり、
父は「入れ歯」をトイレに捨ててしまう癖?があるので本当に助かっています💦
入所待ち・・・
さて、前回の記事にも書きましたが、
6年前、父の住む街では、介護施設が不足していて、特養では待機人数が
何と、200人超えの状況💦
待っていられず、札幌へ呼ぶことに決めたのでした。
もちろん、夫は賛成してくれました(^^)
最終的に、私の自宅近くの施設に決まりましたが、当初、申し込みをした時、
父の順番は「23番目」!(@_@)
「23番」って一体、どのくらいの期間、待機をするのか、かいもく、見当もつきません。
途方に暮れました😭
それがなぜ、早々に入所が決まったのか?
そのことについて触れたいと思います。
父の生活実態
お恥ずかしい事ですが、私の両親は「不仲」なため、長いこと「別居状態」にありました😭
母は妹と同居していますが、父は一人暮らし同然・・・
自炊をしていましたが、年を経るごとに、几帳面さが消え失せ、
だらしなくなっていきました。
結果、家の中は目を伏せたくなるような「ゴミ屋敷」・・・(@_@)
夫や子供を連れて遊びに行くのも気がひけたものです。
かたづけよう・・・と言っても
「自分の大事なモノだから、一切、捨てない!」の一点張りでした。
私は、現在、札幌に住んでいて父と会うのは年に4~5回・・・
長年、毎日、必ず、朝と晩、決まった時間に「電話」をして「様子伺い」をしていました。
けれど、父の「異変」には気づかなかったのです😭
調査員の判定
さて、「認知症」と診断されて「介護認定」を受ける際、
役所から「調査員」さんが実家を訪ねて来て、私を含め3人で面談をしました。
普段の父の様子は同居していないため、詳しく把握できていませんでしたが、
私の「知る限りの事」を話しました。もちろん、お恥ずかしい「家庭の事情」も・・・😭
その方は「家の中の様子」や「父の生活ぶり」を見て驚かれていたのを覚えています💦
調査員さんは、
「このまま一人暮らしだと、命の危険があります」
「朝、起きたら死んでいたということもあり得ます」と帰り際に私に話してくださいました。
ショックでしたね。
その後、「地域包括センター」の方に、また相談にのっていただきましたが
後は、申し込みをした2か所の施設の「入所許可」を待つ日々が続きました。
優先入所
間もなくして「入所できます」と、一報が届きました!
え?? まさか??
だって23番目のはず?? どうしたのだろう??
こんなに、早く入所出来るなんてビックリです(@_@)
生活の実態が考慮された・・・
後日ですが、施設の方から「早急な入所が必要」と判断されたことをお聞きしました。
「ひとり暮らし」で「持病」もあり、「薬」も(捨ててしまい)自分では飲むことが出来ず、
ちゃんとした「食事」をしていないなど、このままだと「命の危険」があるような父の状況。
結果として、優先的に入所が認められたようです。
私は「23番」の数字が、ずっしりと重たかったけれど、本当に救われました😭
「縁」があった??
実は、施設探しを始めた時、すぐに「見学と面談」のアポが取れた施設がありました。
早速、訪問です!
しかし、入所待ちの期間がおそらく1~2年では?とのこと(>_<)
それでも我が家から近いので、とりあえず申し込みを済ませ帰ることにしたんです。
真夏の日差しが照りつけて、なかば、頭がボーっとしながら歩いていましたね。
と!!!
「足が勝手に」と言ったら笑われそうですが、この時、本当に私の足が
自宅とは「逆方向」の「ある所」へと向かっていたのです。
実は、そこが、今、父がお世話になっている「グループホーム」でした。
まったく「アポなし」で、私は、玄関のチャイムを鳴らしてしまいました💦
「突然の訪問だもの、断られるだろう」と思ったのも束の間、
職員さんが「どうぞ~!」と出迎えて、面談に応じて下さったのです。
それは、まるで何かに??導かれたような出来事でした。
その晩、夫に話したら
「きっと、天国のばあちゃんが、アンを心配して、そうしてくれたんじゃないか」
と、言ってくれました😭
もしかすると、そうかもしれませんね。。。。😭
困っている私を見かねて?亡き祖母が、助けてくれたのではないでしょうか。。。
私は、祖母に育てられた「大のばあちゃん子」だったんです。。。(^^)