夫のマシュウです。
離れて暮らす両親が入院する事態になって、病院と介護施設から、今後のことについての確認を求められた時のことです。
つまり「最期の迎え方をどうするか」ということです。
さあ、どうする?
二人とも、エンディングノートは書いていませんでした。
母の場合
母親が入院した当初のことです。
施すべき治療もひと段落して、医者からこれからはリハビリに取り組んでは?と言われていましたが、どんどん気力も体力も落ちていき、寝たきりになってしまい、話しかけてもまともに応えないぐらい意識レベルも低下した時期がありました。
そんな時、看護師から「食欲もなく、自分で食べ物をかむ力も入らず、
飲み込む力すら少しなくなった」ということを聞かされました。
看護師から、今は、強制的に食べ物を押し込んで食べている状況だが、口から食べることができなくなったらどうする?という問いかけがありました。
延命の選択肢としては、
・鼻から栄養を送るチューブを挿入する
鼻にチューブを挿入することにより、本人には苦痛を与えるらしいです。
・胃ろう
手術を伴いますが、胃に直接栄養を供給することでの延命措置です。
意識がなくなっても数年にわたり生きることがあるそうです。
・点滴
点滴での栄養補給なので、延命措置でしかありません。
いずれの方法も延命措置でしかありません。
一瞬、「死」を覚悟しました。もうダメだということか?と思うと涙があふれてくるのがわかりましたが、ここは冷静に、冷静に・・・
以前に、母から聞いていた言葉を思い出しました。
母親が元気なころ、「ピックら、パックら(母親がよく使う、独特の言い回しです)してまで長生きしたくない」とよく言ってました。
私のいないところでは、妻にも「余計な延命はしないでほしい」と話していたそうです。
子供として、何もしない、という選択肢は酷すぎる。
できることといえば、
「点滴でお願いします。」
今は、容態もひところの最悪期を脱して、というか、歩けないだけで口は達者なことを言うまでに回復しています(^^)
当分、最期のケアをどうするかは先送りしておきます。
父の場合
父親が病院を退院して介護施設にお世話になるにあたって、ひとつの確認を求められました。
「看取り介護」について記された1枚のペーパーを渡され、緊急の場合の対処についてどういう処置を望むか?というものです。
母親の件がありましたので、同じ対応をしてもらうことを、妻と相談しました。
最終的には兄弟と相談しなくてはなりませんが、
苦痛を与えるだけの延命は避けたいところです。
これまでもそうですが、これからの介護を続ける中で、心の中で「お別れ」の時間を持っていたいと思いました。
子供としての判断は?
親の最期を迎えるにあたって、選択肢はいろいろあるようです。
「胃ろう」についても、親戚のある家族は、母親の延命に「胃ろう」を施し、数年看病し続けました。その家族にとっては、母親とお別れするのに必要な時間だったのかもしれません。
「鼻からのチューブ」にしても、本人の生きようとする意思がなければ、効果はないものと思われます。
「点滴」も、衰弱していく本人に苦痛を与えるだけだという人もいるでしょう。
何が最適なのかは、その時にならないと判断できないかもしれませんが、
自分に置き換えると、無用の苦痛は避けたいというのが本心だと思います。
やがてやってくるその日に備えて、さらに考えてみたいと思います。