夫のマシュウです。
昨年11月からガンの闘病で入院していた妻の叔母が、
家に帰りたい一念でリハビリを頑張った結果、「一時帰宅」の許可が出ました。
そのため妻が、叔母の家での生活に付き添うことになりました。
妻は・・・
この貴重な一時帰宅の機会に、本州に住む弟(妻の叔父)に知らせた方がイイんじゃないか
ということで、退院予定日を電話で知らせます。
叔父はたった一人の叔母の弟。
知らせを受けるや、叔父は二つ返事で、退院したらまもなく駆けつけると言ってくれました。
叔母の退院日から2週間後の来院検診日までも滞在できるといいます。
叔父にとっても最期の時間になると覚悟しているよう・・・
わが家では・・・
退院に付き添うために、持っていく荷物を準備しながら妻がつぶやきます。
「○○ちゃん(叔母)は、ずーっと病気と闘ってきたんだよね」
「旦那さんを亡くした後、お姑さんを1人で世話をして、自分の時間などなかったはず」
「結婚した時からキツイ姑さんと同居で苦労の連続。小姑たちもいたし・・・幸せだったんだろうか?」
ここまで長い間、ガンを患ってはその都度、手術、闘病生活の繰り返し。
体重は20㎏を切りました。
すっかりやせ細ってしまった叔母の気持ちを察します。
「この前会った時、叔母が『いつまでも良くならないのでもう死にたいけど、
こればっかりは寿命だからねー』って言ってたけど、かわいそうだわ」
私たち夫婦は・・・
これまで義父(妻の父親)と私の父親を送りました。
私「オヤジ(義父)のときだって、最期まで○○ジ(妻の愛称)が看て送ることができて、
オヤジも幸せだったんじゃないかな?」
札幌のグループホームに本人の意に反して?入れられたと思っていた義父は、
亡くなるまで田舎の自分の家に帰りたい想いを抱いていました。
一度だけ、私たちはオヤジの反乱と称してましたが、どうしても帰りたい気持ちを抑えられずにグループホームから自宅に戻ったこともありました。
また、グループホーム脱走未遂事件?もありました。
ですが、
自宅での生活では看てくれる家族もいないことから
(お恥ずかしいことに長年家庭内別居状態)
苦労することは目に見えていましたので、今でも札幌に連れてきたことは正解だった
と思っています。
そんなこんながありながら、妻は7年間グループホームに通い続け、
義父の最期を看取りました。
そんなことを思い出し・・・
妻「そういえば、私を可愛がってくれたばあちゃんの世話もしたけど、
『あんたはそういう星のもとに生まれたんだわ』って言ってたなー」
私「○○ジ(妻)のように看る人がいるから、今回もこういう機会が持てるんだし
子供のいなかった叔母さんも幸せなんじゃないかな?」
「実弟も来てくれて、自分の気持ちを整理する時間が持てるんだから・・・幸せなんだよ」
妻「そうだよね」
おそらくは・・・
今回の帰宅が最後になるだろうことは本人が良く知っているはず。
これまでにも「終活」をしていました。
叔母は同じような体型の妻に、洋服や、バッグ、時計などをくれました。
今回も身辺整理をすることでしょう。
そして、叔父(弟)と二人で庭を眺めながらお茶をすすり、
昔話に花を咲かせる様子も目に浮かびます。
どのくらい自宅生活ができるかわかりませんが、
今までの人生で一番濃い時間になるでしょう。
別れの時間がとれるというのは、送る私たちにとっても貴重な時間。
世の中には突然の別れを強いられる人もいるのですから・・・
妻「パパ、お願いがあるんだけど、○○ちゃん(叔母)との写真たくさん撮ってね!」