ついに叔母が逝った・・・

夫のマシュウです。

新年早々、能登半島地震が発生!

建物倒壊や津波、大火事など衝撃の映像がテレビで流れました。

さらに翌日には、羽田空港で旅客機の衝突炎上事故が発生するという、

悲しいニュースで新年の幕開けとなりました。

よくない年の始まりなんだろうかと不吉な予感に、思わず身の震える思いに囚われます。

悪いことは?

個人的にも重なるもので、正月の松の内も明けないある朝・・・

北海道の道南の小さな田舎町の病院で療養していた叔母が亡くなった知らせが、

わが家の朝食時にもたらされました。

いつかは逝ってしまうんだという覚悟はしていたものの、突然の訃報にはビックリ・・・

妻は、家電話のナンバーディスプレイで病院からだとわかると、

思わず口の中に入れたばかりの食べ物をほきだしてしまいました。

看護師が伝えるには・・・

叔母は、夕べは遅くまで病室で看護師さんとの話が弾んでいたほどに調子が良かったといい、朝になったら、姪っ娘である妻アンに新年の電話をしようね、と話していたといいます。

それが朝になると、血圧や脈拍や低くなって、みるみるうちに呼吸が浅くなり

息を引き取ってしまったと言います。

看護師さんは叔母の脈をとりながら、

妻にすぐに病院に駆けつけられるかを確認したかったようですが、

急すぎて、、、最期を看取ることができませんでした。

とるものもとりあえず、その日の昼過ぎに駆けつけることができましたが

すでに叔母は病院から斎場に移されていました。

叔母の亡き骸と対面した妻は?

こらえていた涙がこぼれ落ち、何度も何度も叔母の頭を撫でて話しかけていました。

しかし、この後すぐに葬儀を取り仕切る、叔母の姑の次男と打ち合わせ・・・

翌日の通夜を迎えるため、

私たちはいったん札幌に引き返し、参列の準備をして出直すことにしました。

「冬の寒いときには、死にたくない」と言っていた叔母でした。

ですが、この冬は北海道でも道南の田舎町は雪が少なく、

車道はアスファルトも顔を出していて、天候も穏やか。

この分では、叔母を良い天気のもとで送りだしてやれそう・・・

翌日の通夜

この日は、首都圏に住む86歳の叔父(叔母の弟)も駆けつけました。

叔父はスマホも持ってなくて、航空券の予約もできなくて空港にいきなり行く人です。

航空機の運行状況が気になって心配しましたが、

羽田ー新千歳間は混んでいなくて無事に乗れたとのこと。

通夜は滞りなく済ませることができました。

しかし!翌日の葬儀は大波乱!

通夜の夜から道南の田舎では吹雪模様でした。雪は一晩中降り続いたようです。

翌朝、この地方では珍しく40cm以上積もった様子。

葬儀社の職員も自家用車を走らせることができず、歩いて来たという方もいます。

朝のニュースを見ると、

この地方としては記録的な豪雪!高速道路は通行止め!

国道は除排雪が済んでいたものの、生活道路までは除雪に入れない状態!

葬儀に影響はないのか?

葬儀社の担当者も盛んに電話連絡しているふう。

火葬場の職員が出勤できてないのです。

火葬場敷地内の除排雪をする業者も中に入れない状況だといいます。

予定通り、葬儀は進められるのだろうか?みんなイライラが募ります。

というのも、葬儀に駆けつけた叔父が終了後に首都圏に帰るための航空機は、

羽田空港の事故の影響で、新千歳空港発の便が間引き運行されているうえに、

どの便も満席のよう。

行き当たりばったりで飛行機に乗る叔父には、乗れるかどうかは賭けでもあります。

乗れなかったらどうする?

ここは、JRで確実に新函館駅から新幹線に乗せて帰すしかない!

私たち夫婦の関心ごとは、葬儀で叔母との別れを惜しむというより、

叔父を無事に帰すことに注意が向いてしまいます。

果たして、出棺は予定通りにできるのか?そして骨上げ法要は?

私はというと・・・

パソコンをひろげ、えきねっとで新幹線への接続やら、

到着時刻の確認をして切符の手配をします。

出棺の予定の時刻になっても、火葬場からの連絡はないようです(^_^;)

予定時刻から1時間半遅れでの出棺となりました。

どうにか、ぎりぎり、叔父も無事骨上げまで同席することができました。

これから、式場に戻って還骨法要に参列すると、予定の新幹線に間に合わない・・・

ここは、途中退席して帰ってもらうしかない。

こうして慌ただしく、田舎の町を離れた叔父。

この日、どうにか夜中には自宅に戻ることができたと、

翌朝、電話連絡をいただき、妻とホッとしました。

妻「○○ちゃん(叔母の名前)は、この日を忘れないようにと仕組んだんだね。やるな~」(笑)

「でもね、私、これでようやく肩の荷が下りた感じがしてるよ」

「長い長い闘病生活だったものね」

私「もう、これからはお墓参りしか行くことがなくなっちゃったね」

妻「叔母の住んでいた家に行っても、もう誰もいないんだよね」

何とも言えない寂しさがこみ上げてきます・・・合掌・・・☆

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コメント

  1. 千沙 より:

    マシュウ様、アン様

    叔母様のご逝去の報に接し、心よりお悔やみ申し上げます。

    美味しい羊羹を作って送って下さったり、癌との闘病のための入院の際には鬼退治しに行くと仰ったり、お二人には叔母様の思い出がたくさんおありでしょう。

    アンさんはよくお支えしていらっしゃいましたね。
    アンさんのお陰で叔母様はお幸せな日々をお過ごしになられたことでしょう。

    合掌

    • ともに白髪の生えるまで より:

      千沙さん、温かいお言葉ありがとうございます。マシュウです。
      なんとか慌ただしく葬儀も終わりましたが、
      思い出に浸るのもそこそこにいろんな手続きとか追われています。
      落ち着いてからいなくなった寂しさがこみ上げてくるでしょうね。
      千沙さん、ありがとうございます。アンです(*^-^*)
      生母とは生き別れになってしまった私にとって母親のような存在でした。
      支えが無くなってしまいましたね。
      夫が先頭に立ちいろいろな手続きなどをやってくれていますので
      気持ちが少し軽いです。
      がんばるぞ~~~~~!泣いてなんかいられないぞ~~~!(笑)

  2. ジェリー より:

    アンさん 寂しくなりますね。
    頭では いろいろ分かっていても・・
    心には “しみじみ”と 湧いて来ますものね。
    叔母様のご冥福、お祈り申し上げます。

    • ともに白髪の生えるまで より:

      ジェリーさん、温かいお言葉ありがとうございます。マシュウです。
      今は事後手続きで忙しさに紛れてますが、
      もう電話が掛かってくることもなくなったねと、妻がポツリ・・・
      寂しさはこれから湧いてくるかもですね。
      ジェリーさん、ありがとうございます。アンです(*^-^*)
      昨年、5月末に一時帰宅した時に庭の片隅から京ぶきを叔父(叔母の弟)が
      とって来たのを私がごま油で炒めて少しのお砂糖とお醤油で味付け・・・
      それがとっても美味しかったと言ってくれました。
      叔母は出来損ないのこんな私の事をたくさん褒めてくれました。
      胸にぽっかり穴が開くと言う表現がありますが、今はそんな状態です。
      近々四十九日法要があるので今はそれに向けてがんばってます!