妻の突然の涙・・・そのわけは?

夫のマシュウです。

ある日曜日のお昼どきのこと・・・

妻としらす丼を食べながら「NHKのど自慢」を見ていました。

上手な人や?そうでない人?などの歌を聴きながら、

これは鐘ひとつ、これは合格じゃない?などとすっかり審査員気分!(笑)

ある女性の出場者が一青窈の「ハナミズキ」を歌い出しました♪

イントロから反応した妻は、箸を止めて聴き入っています♪

と思っていたら、目が潤んでる?

いや、泣いている💦

実はこの曲、妻にとっては忘れられない「思い出」の1曲でした。

子供が大学進学のため、東京で一人暮らしを始めることになり、

妻が引っ越しの手伝いと、入学式に出席するため上京!

数日間、母親の務めを果たして、ついに札幌に帰る日になりました。

「これが最後」だと気落ちしながらも、子供のための食材をスーパーで買い求めている時、

BGMで流れてきた曲が「ハナミズキ」

レジかごに食材を選びながら歩いているうちに涙があふれてしまったのです。

そしていよいよ別れの時!

玄関先で子供と「別れの握手」

子供の手はじっとりしていたということです。

妻の目からも涙が溢れ、くしゃくしゃになってしまい、

その時、子供からかけられた言葉は「母さん、そんな顔して帰れないぞ・・・」

その後、どのようにして空港まで行ったか覚えていないと言います💦

ただ電車の中で周りに悟られないよう?涙をこらえていたそうですが・・・

それから数人あとの出場者が歌ったのが、中島みゆきの「糸」♪

私が現役時代に参列した葬儀で、故人が好んでカラオケで歌っていたという曲でした。

このようなシチュエーションで聴くと、涙が流れてしまうということを

帰宅後、妻に話したことがあります💦

「糸」・・・じっと聴き入っていた妻はとうとう泣き出しました。

昨夏、亡くなった自分の父親を思い出してしまったのです💦

父親の葬儀のBGMが中島みゆきの「時代」でしたからね。うん、うん、わかります。

生前、認知症になる前「オヤジ、この歌が好きなんだよな~」と言ったんだそうです。

ごく内輪だけの葬儀でしたが、出棺の時に流したのが義父のお気に入りの「時代」

我が家にとっては忘れられない「メモリアルソング」です(^^)/

妻の泣ける歌はまだありました。

井沢八郎さんの「あゝ上野駅」です。

私は若い頃、北海道から上野駅に寝台列車に乗って上京したり、

帰りは上野駅発の夜行列車で帰ったことがありますが、妻にはそんな経験はありません。

なのになぜ泣く?

実は、妻は大学生になった子供と上野でデートしたあと、

上野駅のJR改札口で別れた「子供の背中」をじーっと見ていたそう。

だけど子供は一度も振り返らず、スタスタと行ってしまったとか・・・(笑)

あ!ごめん!笑っちゃって・・・🙇

上野は~おいらの~~心の駅だ~♪

このフレーズが琴線に響き、涙でグダグダの妻・・・

NHKのど自慢さん、泣かせてくれましたね~(笑)

妻よ、

昼食の「しらす丼」は、涙の塩味で美味しかったでしょ?(笑)

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コメント

  1. 躁介 より:

    2002年が息子の中三時代で、2003年春に高校受験をしました。受かるも落ちるも半々の進学校を受験したので、父親としても本人以上に必死の思いでした。その頃よく聴いていたのがZOOや中西圭三でした。流行っていたのは1990年代と古かったのですが、ブックオフで特価¥100CDが売られていて殆ど全てのアルバムを買い、当時は休日の度によく聴いていました。
    その後19歳で息子は亡くなってしまったので、今でもZOOや中西圭三の曲を聴く度に、当時の様子が沸々と想い出されてきて涙が溢れ出ます。匂いと感情もそうですが、音楽と感情は強くシンクロするみたいです。バリバリ働いている現役時代は、社会の中で闘っているので滅多なことで涙することはありませんが、引退して闘えなくなると気が弱くなり、ちょっとしたことですぐに涙が出てしまいます。

    • ともに白髪の生えるまで より:

      躁介さん、コメントありがとうございます。マシュウです。
      躁介さんのお辛い思いにコメントできません。
      申し訳ございません。涙が出てしまいました。

      躁介さん、アンです(*^-^*)
      私どもの拙いブログにたくさんのコメントを寄せていただき本当にありがとうございます。
      嬉しく思います。
      けれど、今回の息子さんのお話はあまりに悲しすぎます。
      泣いてしまいました。
      今も泣きながら書いています。
      子供は自分の命よりも大切ですもの・・・

  2. 躁介 より:

    家内も大事、娘も大事なのは言うまでもありませんが、自分にとって息子は誰よりも掛け替えのない唯一無二の存在でした。
    私も家内も娘も世間一般の基準で言えば「中の下」位かなというレベルですが、息子は我々とはレベルが違い(鳶が鷹を産んだ)持って生まれた特異な才能に恵まれていました。家内がかなり巧く躾けた面が多々ありますが、兎に角幼少期から優秀でした。学習塾などには一切通うことなく大阪府立高校理数科に進学し、そんなに必死に勉強していた風には見えませんでしたが、現役で京大理学部に進学しました。高3秋に強迫神経症に罹って精神科に通院しながらセンター試験を受け、その後二次試験まで殆ど自宅で寝ていた(勉強できるような精神状況じゃなかった)にも拘わらず、大学には280人中40-50位(推定)で楽に合格していました。しかし病気のため殆ど大学に通うことなく10か月で呆気なく逝ってしまいました。「この世に何の未練もない…」なんて遺書を残して…それまで必死に育てて来た親としては堪りませんでした。仕事帰りに殆ど人がいない暗い道を20分近くかけて駅まで歩いていましたが、息子の無念を想うと、3か月位毎日涙を流しながら歩いていたものです。13年経っても悔しい想いは決して消えません。老後は息子と学習塾でもやろうかと生前話したこともありました。それが自分の究極の夢でしたが、永久に叶うことがなくなりました。今は糸の切れた凧のような状態です。

    • ともに白髪の生えるまで より:

      躁介さん、コメントありがとうございます。マシュウです。
      親として辛い思いをされていること、妻と涙しながら読ませていただきました。
      とても辛くてコメントは勘弁してくださいね。

      躁介さん、アンです。涙が止まりません。
      躁介さんはじめ、奥さま、娘さん、みなさんの悲しみはいかばかりか・・・
      私は何もできずごめんなさいね。
      昨年12月、義父の葬儀の時、神主さんが
      「亡くなられたお父さんは、みなさんの守り神になりました」
      「いつもみなさんを守っています」そう、お話してくださいました。
      躁介さん、息子さんは空の上から、躁介さんご一家を見守ってくれています!!!