父と歩いたこの道、今は「別れの覚悟の道」

妻のアンです。

7年前の夏、私の父は「認知症」と診断されました。

父の住む街では、施設が少なく入所のめどが全く立たないことから、

私が住む札幌で施設探しを始め、夫や、周囲の方々のおかげで、我が家からほど近い施設に

無事、父を入所させることが出来ました。

以来、本当にいろいろなことがありました。

正直、悲しいことが多かったです。

父に会うたびに、辛くなり、わざと、面会の回数を減らすこともありました。

「被害妄想」の矛先は、すべて娘の私に向けられ、特に言葉の暴力には閉口しました。

病気がそうさせているとはわかっていても、限度を超えていたのです。

夫マシュウが、その当時の私の心境を「会いたいけれど、会うのが辛い」と

ブログに書いていますが、その通りです。

でも本当は会いたかった!

話もしたかった!

こうして、あっという間の7年です。

近所の田園風景を見に行ったり、施設の行事の家族ピクニック、敬老会、

誕生会、マジックショー、オカリナ演奏会など、父と味わった楽しい時間もあります。

「いわさきちひろ展」が市内の美術館であると聞き、連れて行ったのが

親子一緒に出掛けた最後となりました。

先日、私が一人で面会に訪れた時、父が低血圧を起こし、まさかの「緊急入院」!

実は、その少し前に担当医から、ある臓器に「多数の腫瘍」があり、

治癒の見込みは厳しいという話も聞いていました。

今後どうするか?という話し合いの中で、

私は「手術を望まないこと」「痛みだけは取り除いてほしい」

というお願いをしていました。

5日ほどの入院で古巣のグループホームに帰って来たのも、

ギリギリまで「家庭的な雰囲気」の中で生活を!という先生の勧めからでした。

もう3年前になりますが、ある夏の日の早朝、突然、

グループホームから父が「娘の家の庭仕事に行きたい」と言っていますと電話があり、

早速、迎えに行き、我が家に来てもらいました。

嫌がる帽子を何とか被り、得意げに庭を手入れ??してくれた父。

ホントは咲いている花を折ったり、ハチャメチャだったんですけどね(笑)

まだあの頃は、腕も太かったのですが、今は、すっかりやせ細りました。

山を愛し、スキーを愛し、たくましいスポーツマンだった父の変わりようは、

子供としてはやるせない想いでいっぱいです😢

まだまだ元気で、いろいろ反乱?を起こしていた父と、私の家から、手押し車を押しながら、

グループホームまで「一緒に歩いた道」があります。

そうそう、何度も、休憩しながら歩きました。

今は毎日、私は、この道をひとりで歩いています。

今日の体調はどうかな?

今日はどんなおしゃべりをしようかな?とか、いろいろな事を考えながら歩きます。

一時間ほど、親子水入らずの時間を過ごし、

父の頭をなでながら「また明日ね!また来るからね!」と約束してホームを後にします。

道すがら、最初は涙がこぼれたけれど、今は大丈夫!!

いつかやって来る「別れの日」まで、私は充分「覚悟をする時間」を与えてもらっています。

しかし、私の友人は、父親を心臓疾患で突然、亡くし、その死を受け入れることが出来ず、

長いこと、苦しみました。

「別れを覚悟する時間」すらなかったのです。

だから、父も私も幸せです!!

残された時間、いっぱい、おしゃべりしたいと思います。

父に言わせると、私は「おしゃべり娘」だそうですから(笑)

体調の良い日と悪い日が交互にやってくる父ですが、今日は大好きなチョコレートを口に含み

それはそれは、嬉しそうな顏をしてくれました。

そして「美味いな~」とひと言つぶやくんです・・・嬉しい瞬間でした。

人はこの世に生まれて、老いて、病を得、そして死を迎える・・・「生老病死」

私は、今、父の姿から学んでいます・・・

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