母親に会いに行く「ささやかな楽しみ」とは?
私の両親が元気な頃は、年に数回程度の帰省を心待ちにしてくれて、わずかな滞在中も、いろいろもてなしてくれました。海辺のマチですから、母親は「新鮮な魚介類」をたくさん用意していましたね。私たちも、それが本当に楽しみでした。
シニア夫婦が定年退職を機に人生のゴールインを迎えるその日まで思う存分楽しもうを合言葉にブログをはじめました。
私の両親が元気な頃は、年に数回程度の帰省を心待ちにしてくれて、わずかな滞在中も、いろいろもてなしてくれました。海辺のマチですから、母親は「新鮮な魚介類」をたくさん用意していましたね。私たちも、それが本当に楽しみでした。
父親の死後、長男の私が「相続関係の手続き」で走りまわる日々が続いています。必要な書類のひとつに、「父親の出生から亡くなるまでの戸籍の移動」を調べる必要が出てきました。「財産の相続人」として「他に権利者がいないか」を戸籍をさかのぼり調べます。遺言書もありませんでしたので、「法定相続人」を確認するためです。
私の父親が亡くなったことで、母親がひとり、特別養護老人ホーム(特養)に残されました。父親が健在な時は「二人の年金」を合わせてなんとか施設費用を賄ってきましたが、父親の死後、それまでの「厚生年金」が受給できなくなると、たちまち費用の支払いにも影響が出てきます(-_-;)
父親が亡くなったことにより「父親名義の預貯金」は私が「代表相続人」として一旦は引き継ぐことにしています。今までは父親の通帳から、特別養護老人ホームの施設費や医療費など、両親の生活に「必要な経費」を支出してきました。今後は、特養で一人暮らしとなる母親に係る費用を「残された預貯金」から支払っていくことになります。
亡くなった父親は「ゆうちょ銀行」に口座を持っていました。幸い?今、現在、「口座凍結」されずにおります。葬儀後、残っている支払いなどはこの通帳から出し入れしていました。そろそろ、大きなお金の動きもなくなったことから「相続の手続き」に入ろうと思います。
母親が特別養護老人ホームで夜中に転んで骨折し、隣町の病院に搬送・入院して数日が経過しました。入院直後に、私たち夫婦が見舞いに行った時、ドクターの説明では、骨折に関する手術の必要はないということと、血液検査の炎症反応が高いため、正常範囲内に収まれば退院の目途が立つということでした。
父親が亡くなり、一人になってしまった母親・・・思えば「こんにちの事態」の引き金は、母親が引いたも同じでした。高齢まで実家で普通の生活を続けていた両親ですが、共に足腰が弱り家の中でも杖が頼り!夜中もカタンカタンと杖を突く音をたてながら何度もトイレに立つ日々・・・お互いの「不自由」をかばい合いながら、「ふたりで一人」のような両親でした。
私の父親が亡くなって、一カ月が経過しました。車イスが頼りの不自由な体をおして葬儀に参列し、「喪主」を務めた母親は、その後、どのように過ごしているでしょうか。葬儀後の様子が心配で、特養への電話で様子を伺ってはいましたが、面会の機会がなく、新年へと時間が過ぎていました。
私の両親は、2年前に相次いで入院して、そのまま特別養護老人ホーム(特養)に入所!ついに実家に戻ることは叶わぬ願いとなりました。実家は無人です。私が、ガスや電気、電話、水道などの「公共料金」の支払いについて見直しを図ってきました。しかし、電話と水道、電気だけは、私や弟が訪れた時に使うのでそのままに・・・。先日、実家の「NTT電話料金」の11、12月分の請求書が送られてきました。
取引していた金融機関の口座はいつ凍結されるのか?というのはよく話題になることです。役場に死亡届を出すと、役場から金融機関に連絡がいくのでは?いえいえ、そんなことはありませんでした。今回、父親の口座が凍結されたので「解除の方法」について金融機関に問い合わせると、私が地元の「新聞のお悔やみ欄」に載せたことで、それを見た「金融機関の担当者」が凍結したとのことでした。