父親の死から妻は立ち直ったか?
妻の父親の死・・・あれから幾日が過ぎたことでしょう。我が家では、葬儀が終わった日、和室に仮祭壇をしつらえ、亡き義父の遺影と骨壺を安置して、在りし日を偲んでいます。今朝も、妻アンは遺影の前で手を合わせ祈っています。義父が緊急入院した後、毎日、朝から晩まで付き添いの看病をしていた時のこと、さらに入院前のグループホームでの親子水入らずの「語らいの時間」を思い出し、彼女は悲しみに暮れていました。
シニア夫婦が定年退職を機に人生のゴールインを迎えるその日まで思う存分楽しもうを合言葉にブログをはじめました。
妻の父親の死・・・あれから幾日が過ぎたことでしょう。我が家では、葬儀が終わった日、和室に仮祭壇をしつらえ、亡き義父の遺影と骨壺を安置して、在りし日を偲んでいます。今朝も、妻アンは遺影の前で手を合わせ祈っています。義父が緊急入院した後、毎日、朝から晩まで付き添いの看病をしていた時のこと、さらに入院前のグループホームでの親子水入らずの「語らいの時間」を思い出し、彼女は悲しみに暮れていました。
先月、義父が亡くなりました。身近な人が亡くなった時には、いろいろな手続きが必要で、生前に専門の解説本を見ていましたが、なかなか実感がないままに、本番を迎えてしまいました(*_*;亡くなった直後の手続き まずは故人の葬儀に関わる手続きを真っ先に行わなければなりません。葬儀が終わったら、故人が受けていた公的サービスの解除の手続きがあります。公的医療保険の「後期高齢者医療保険証」や「介護保険証」について資格喪失の手続きをします。この後、もっとも大事な手続きが控えています。
義父のたっての望みであった無宗教による葬送。家族だけによる葬送。送った私たち夫婦にとっても初めての葬送でした。「直葬」とか「一日葬」というのがあるのは知っていました。今回、私が葬儀社に「事前相談」した時、葬儀に関する予備知識はほとんどありませんでした。
私たち夫婦の両親が共に健在の時から、親が亡くなった場合の手続きについて「解説本」を買い込んで勉強していました。勉強していたつもりになっていたのかもしれません。その日というのは突然やって来ます。いつかはやってくると思いつつも、ことがことだけに、縁起でもないということで、やるべきことの検討を「先延ばししがち」でもあります。頭ではわかっているつもりでも、いざとなると慌ててしまうのも突然のことだからでしょう。
ついに、義父が逝きました。私たち夫婦それぞれの両親が、全員、この歳になるまで健在というのは、極めて珍しい、と言われた「長生き両親4人」の一角がついに崩れたのです。私の住まいの近所に葬儀場ができた2年前に、そこの互助会に義父も含め会員登録していました。義父の命が長くは持たないだろうということを察した妻からの指示で、私が「事前の相談」をした2日後に亡くなったのです。
義父が緊急入院して17日目の朝、妻はいつものように病院へと向かいました。すると、間もなくして、家電が鳴りました。妻「すぐ来てほしいの!もうダメかも知れないって!」ついにきたか!?
妻の父親が介護施設のお世話になって7年目になりますが、その間、およそ隔週で面会に行きわずか30分程度で帰ってくることがいつものパターンでした。その理由は、義父が妻の顔を見るたびに「家に帰りたい!」と強く懇願するものですから、対応に困り、会う回数を減らしてました。しかし、緊急入院以来、妻も最後の親孝行の時がきたという思いで、毎日のように施設に通い、父親との時間を大切にしていました。
妻の父親が、体調の悪化で7年住んだグループホームから病院に移されて、日に日に容態が悪くなっていくのが目に見えて分かるようになりました。 父親のもとへ毎日通って介護を続ける妻の目にも明らかに衰弱が見て取れるそうです。声も小さくなり聞き取るのが大変・・・足も手もむくんできました。食事も摂れません。けいれんを押さえる薬の投与も終わりました。
私の実家の両親は、二人そろって地元の特別養護老人ホーム(特養)のお世話になっています。母親は、収入が国民年金だけで、父親の住所を特養に移したことで、実家の世帯主にもなっています。したがって、低所得世帯ということで住民税非課税世帯となっています。先日、母親あてに新しい「後期高齢者医療被保険者証」と「限度額適用・標準負担額減額認定証」が送られてきました。
妻の父親がグループホームから救急車で病院に運ばれてからは、いよいよ最期を迎える気配になってきました。北大病院に運ばれたときは、父親が一度意識を回復して、あらためて父親に感謝の言葉を伝えたいと、あれほど気が動転していた妻も、今は落ち着き、毎日看病のために病院通いしています。娘に戻って、甲斐甲斐しく、世話をしてるようです。