亡き母親の思い出

夫のマシュウです。

母親が亡くなってから、妙に昔のことが思い出されます。

幼い頃

身体が弱く3日に上げず母親に手を引かれ病院通いしていました。

注射も先生にされるのがイヤで奥さんの看護師さんにお願いするなど困らせたようです。

家族でバスに乗って隣町の親せきを訪ねる時など必ず車酔いして(ゲロゲロ)吐いてしまい

母親の手を煩わせていましたねー。

小学校入学直前

入学前の学校訪問で、はしゃぎすぎて鳥人間になったつもりで?

体育館のステージから飛び降り、左ひざを強打!

以来長年にわたって関節炎に悩まされ外科病院に入退院を繰り返す日々でした。

小5の頃

隣町の治療院で関節炎の温湿布治療を受けるのにバスで通っていた、ある日、

いつも利用していた小売店のおばさんも同じ治療院にかかるというので、

母親「おばさんを連れてバスに乗せて一緒に帰って来るんだよ」と言われていたのに、

自分の治療が終わっておばさんを待つのがイヤになったのか、

一人で帰って来てしまいました。

それを聞いた母親に「お前にはごっぺ返した!」(がっかりしたという意味)

と強く腕を引かれ、謝りに連れて行かれた苦い思い出。

ごっぺ返し???

初めて聞いた言葉なので今も耳に残っているのです。

自転車

大人の自転車に乗る練習にも手を貸してくれたのが母親でした。

小学校のグラウンドで後ろの荷台を手で押さえてくれてましたが、

押さえてくれてるはずの母親が遠くに見えて、

あれ??

一人でこいでいることに気が付く私でした。

スケート

冬期間の体育はグラウンドにスケートリンクを作ってスケートをしました。

そのリンク作りにはPTAが駆り出されるのですが、

母親も雪を踏み固め、水まきを何日もかけて行い、毎夜、奮闘!

そんな姿を今でもはっきりと覚えています。

小学生時代

私は大の読書好きでクラブ活動では最初は野球がしたかったけど

運動には才能がないことに気が付き、図書室の本を読みあさっていました。

江戸川乱歩などの推理小説を次々と乱読。

図書室の本をたくさん読ませていただいたお礼なのか、

私が小学校卒業時、母親が百科事典?を小学校に寄贈したほどでした。

そうそう、

隣の家に住んでいた同級生の男の子家族が転勤するというので、

母親はこれまで遊んでくれたお礼に、

私とその子に山本有三の『路傍の石』をプレゼントしてくれたこともありました。

その子の家のテレビは、民放のコンバーターがついていてチャンネルを変えて見るのが好きだったんですが、意地悪されて見せてくれないことも。

そんなライバルでもあったんですが・・・

なぜ『路傍の石』だったのか?はいまだに不明です。

学のない母親のチョイスですから、大した意味はなかったのでしょうけど・・・(笑)

母親の性格

他人(ひと)さまに借りを作るのがイヤ、といつも言っていた、負けん気の強い人でした。

今思い出すエピソードといえば小学校までぐらいしか覚えていませんが

中学校に入ってからは、あまり手を煩わせなかった?から覚えてないのでしょうか。

それでも、母親の後ろ姿から、いろいろ教えを得てきたことは確か!

今、元気な身体でいられるのも母親のおかげと感謝してるんですが、

生前、改まって伝えられませんでした。

これまでありがとう!

母親が元気なうちに、もう少し幼かった頃の話を聞いておきたかったなー

と今になって思います。

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